マルチェルロ
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江戸時代を舞台にした10人の作家により10作品の短編集「江戸色恋坂」を読んだ。
江戸時代は人工の半分が生産性が全くない侍が占めていました。構造上その侍が身分が高く、社会を支配し威張っていました。
勢力争いが激しく戦争が続いた時代が去り、やがて徳川が天下をとり、世の中は落ち着き、一見平和になった様にもみえましたが、幕府は財政難に喘ぎ、武士は職を失い、浪人になったり、内職に生活の糧を求めるようになります。
一方、町民も一部豪商は兎も角、一般大衆の人々はその日を生きる為に、最低限の暮らしを強いられていました。
現代に生きる我々の社会も格差や貧富の差は大きいと思いますが、江戸時代の格差はそれとは比べようにならないくらいだったようです。
女性は親や家族の為に大金持ちの妾になったり、岡場所に売られたり、身を落とし苦界に入る人も珍しい事ではなかったようです。
そんな江戸時代の女性達にスポットをあてた10人の作家による短編集です。
収めている作家と題名は
山本周五郎【夜の辛夷】 池波正太郎【梅屋のおしげ】 伊藤桂一【藤の咲くころ】
平沼弓枝【白萩屋敷の月】 安西篤子【百日紅】 澤田ふじ子【後世の月 小野寺
十内の妻】 梅本育子【蓮のつぼみ】 北原亜似子【恋忘れ草】
宇江佐理恵【がたくり橋は渡らない】 諸田玲子【雲助の恋】
以上10編ですが、この中で男性作家は3人、後の7人は女性作家です。平沼弓枝、北原亜似子さん意外は始めて聞く名前の人でした。
それぞれ江戸時代に生きる女性の、逞しくも切ない恋の行く末を描いて読み応えのある作品でした。
北原亜似子さんは女絵師「おいち」が家族持ちの男(彫師才次郎)に惚れても、どうせ実る事の出来ない恋心を手慣れた江戸の風景を背景にさらりと描いていました。
私が一番心を打たれた作品は宇江佐真理の【がたくり橋は渡らない】です。
幼友達のおてるに密かに惚れている信次は花火師です。年老いた母親と2人住まいのおてるに同情をよせて何くれと世話をやいたり、出来るだけの経済の援助も惜しまない信次だが、それも限界がきたようで、おてるは遂に年寄りの妾になる事を決意したようです。
頭にきた信次はおてるを殺し自分も死ぬ覚悟で懐に匕首を入れておてるの家に出かけます。おてるは生憎留守で信次はおてるが帰るまで朝まで待つ覚悟で寒さに震えながら待ち伏せします。
おてるの隣に住む忠助とおみのの夫婦は信次の気配を察し、信次を自分の家に上げ自分たちの辛い過去を語って聞かせます。
忠助は若い頃は優秀な鳶職で、町火消しの仕事もして女にも持て、得意の絶頂期でした。それが町の若い衆の妬みをかい、喧嘩を売られ半身不随の身体になります。すっかりぐれた忠助は生きる望みも失われ岡場所に入り浸りになり、当時岡場所にいた、おみのを請け出す為、有り金を叩き、自分は死ぬつもりで去ってゆきます。必至に追いかけ、生きる事を説得するおみの、今更こんな身体になって何が出来るんだ!!。おみのの父親は腕の良い錺職人、その父親に弟子入りをするように連れて行きます。その親父の作った品物を目にした忠助は死んだ気になって修業を決意します。しかし、幾ら頑張っても2人の暮らしは楽にならず。家には質に入れる物もなく女が稼げる事は唯一つだけです。何もない女が稼げる事は唯一つです。そのことに気付いた忠助は夢中でおみのを追いかけ岡場所のある「がたくり橋」を渡る寸前でした。忠助は夢中で声を掛けます。『その橋を渡っちゃならねぇ 渡ったら元の黙阿弥だ』
おてるが妾にならなけばならない事情もさりげなく聞かせます。おてるにはヤクザの兄貴が一人いて、散々おてるから搾り取り、自分の博打の借金のカタを付けるためおてるを妾に出す算段をしています。その借金が返せなければ兄貴は簀巻きにされ殺されます。おてるが妾になる旦那はその借金を肩代わりして以後その兄貴がおてるの周りに近づかない事を証文に書かせたの事です。
すっかり目の覚めた信次はおてるを殺し、自分も死ぬ思いを捨て、おてるの覚悟を認める事にします。最後は信次の考案した花火「紅色白光」が真夏の夜空にくっきりと開きます。少々長くなりました。
宇江佐真理さんは函館出身の主婦の作家です。此までオール読物新人賞を受賞、直木賞候補に6回も上っている実力者です。文章も綺麗です。江戸の人々が持つ貧乏人の悲しさ、切なさが伝わります。近いうちに必ず直木賞を受賞される方だと思います。同じ北海道人として応援したいと思います。
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同級生のN子さんが突然お亡くなりになりました。
中学校時代の同級生が札幌市内に10名前後いて、1年に一渡くらいの割合で集まっています。今年も新年会をしませんか?と言う話が誰さんから提案され、それでは検討してみましょう・・・と言う事になりました。
日程は私の連休に合わせた2月の下旬、開催地を女性陣にお任せと言う事でお願いし、1/21日に街でT子さん、F子さん、そしてN子さんの3人が昼食会を兼ねて集まり、相談してくれました。
相談の結果定山渓のグランドホテルに決まり、3人はそれでは又元気に逢いましょうと別れたそうです。
そしてその翌日の夕方N子さんは自宅で突然倒れ、直ぐ救急車で病院に運ばれたましたが、そのまま回復する事無く帰らぬ人になりました。
驚きました。詳しい病状は分かりませんが普段から心臓に持病を抱えていたようです。それまで元気だったのが突然の出来事家族の皆さんも信じられない気持ちだと思います。
N子さん数年前の古稀の同窓会では、派手派手での衣裳を着けて得意のフラダンスを踊ってくれました。その時の様子が鮮明に焼き付いています。普段は温和しく穏やかな人ですが、的確な意見を出して同窓会では積極的に協力してくれました。
新年会は当然取り止め、暖かくなってから彼女を偲んで改めて集まろうかと考えています。
私たち同級生、満70才を超しました。何時、誰が、何が有っても不思議のない年齢とは言え、長年闘病で患っていた人なら兎も角、前日まで元気に過ごしていた人の突然の訃報は驚きと共に寂しいです。心からご冥福をお祈り致します。
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平成19年6月8日函館市(旧南茅部町)著保内遺跡出土の縄文時代後半(約3,500年前)の「中空土偶」が重要文化財から国宝に格上げされました。
「中空土偶」の発見は偶然の出来事でした。昭和50年8月、旧南茅部町尾札部の小板アエさんが自宅裏山の畑でジャガイモを掘っていた時鍬に当たって偶然発見したのです。幾つかの破片になっていましたが人の頭のようなものが出てきたので小板さんはビックリして供養の為お寺に届けようとしましたが、中学1年の長女が「これ、学校で習った埴輪だよ!!」と言ったので教育委員会に届けたそうです。
土偶は縄文人の墓に埋められていたのです。縄文人にとって死はこの夜の終わりであると共に、次の世の出発点でもあったようです。「土偶」はあの世の為の共だったのでしょう。
「中空土偶」は腰の部分がくびれてエロチックでもあります。しかし此が女性なのか、男性なのかハッキリしていないそうです。
北海道で始めてで唯一の国宝です。大切に保存して遙か昔の縄文の人のロマンを偲びたいものです。
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今年初めの大相撲初場所は朝青龍が5場所振りの優勝を飾り幕を閉じました。
場所前は朝青龍は出場、休場が交錯し本人も直前まで決めかねていたようです。横綱審議会も評論家の発言も微妙でした。
稽古総見でも朝青龍は不様な取り組みを披露してひんしゅくを買っていました。処が相撲は取ってみなければ分かりません。
相撲内容は危ない相撲が何番も有りましたが、持って生まれた相撲感と根性運でであれよあれよと気がついてみたら14連勝。千秋楽を迎えていました。
一方のライバル横綱白鳳も日馬富士に不覚をとったもののその1敗で千秋楽に朝青龍を下し同点決勝に持ち込みました。
此処で白鳳が勝てば朝青龍「良く頑張った!!」で終わるところでしたが、朝青龍最後の意地をみせて勝っちゃいました。流石です。見応えがありました。
これで朝青龍首の皮1枚がつながりました。・・・と言っても今場所は意地と根性で勝ち進んだようなものです。来場所に真価が問われます。
小錦以来の怪物248kgの山本山も勝ち越しました。人気抜群の高見盛も負け越したとは言え人気の高さ健在です。大関に上がったガチガチに固まっていた日馬富士も何とか勝ち越しました。琴欧洲も良くなりました。
乱れていた立ち会いも随分良くなりました。
お陰で一時、末期症状の大相撲人気が少し戻ってきたようです。大入り満員の日が何日か有ったようです。願わくは日本人に大関、横綱を狙える力士の誕生が待たれます。何時までもモンゴルやロシア人頼みでは先が思いやられます。
こんな相撲人気に少しでもあやかろうと麻生さん止せばよいのに千秋楽の日に国技館に現れました。
表彰状を読み上げたのはよいが『内閣総理大臣 賞』と読むべきところを肝心の賞の字をうっかり読みとばしてしまいました。これでは『内閣総理大臣 朝青龍殿』
だから慣れない事は控えるべきなんですよね!!。又揚げ足を取られてしまいました!!。ハイお粗末でした。
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今年ベルリンで開催されるマラソンの世界選手権を兼ねた大阪女子マラソンが昨日行われとても面白かったです。
昨年11月の東京大会で4位になってこの大会に全てを掛けた渋井陽子が30kmスパートを掛けて初マラソンの赤羽有紀子に大差をつけてゴールを切り、代表を決めました。
女子マラソンは昨年の北京オリンピックに惨敗しましたが、多士財々次々に強いランナーが表れています。頼もしいです。
海の向こうからも嬉しいニュースが伝えられました。カナダで行われていた女子モーグルのワールドカップ第2戦で日本のエース上村愛子選手が堂々の優勝を飾ったそうです。
スポーツ界今年も女性が頑張っています。益々面白くなります。期待しましょう。
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ラジオ放送エアーJの日曜朝6時からの「朝クラ」で今週はメンデルスゾーンの特集を組んでいました。
メンデルスゾーンは先日のブログで今年が生誕200年と書きましたが早速特集番組が出来ました。
メンデルソゾーンは当時の音楽家としては珍しく経済的にも恵まれ割合幸福な生活を送っています。
38歳と言う若さで亡くなっていますが、彼の父親も姉も比較的若死にしていますので遺伝的な事も言われています。
生存期間は短かったのですが、多くの曲を残し、「ヴァイオリン協奏曲」「真夏の夜の夢」等演奏機会の多いです。
今年はメンデルスゾーン生誕200年の年です。今年は生まれ故郷のライプチッヒで夏に盛大な音楽会が開かれます。
日本でもラジオやテレビ、コンサート等での演奏が沢山聴けそうです。
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「ペルシャの市場にて」はアルバート・ウイリアム・ケテルビーの作曲した曲です。
ケテルビーはイングランド(イギリス)の作曲者・指揮者・ピアニスト・音楽ディレクター多才な人で1959年に亡くなっていますから比較的最近の人です。
ケテルビーと言えば此の「ペルシャの市場にて」が最も有名ですが、他に「修道院の庭にて」「中国寺院の庭にて」「エジプトの秘境にて」等沢山の曲を残しています。「日本の屏風から」と言う曲もあります。
此の「ペルシャの市場にて」のペルシャとは現在のイランの事です。
ケテルビーは異国情緒の描写曲を好んで作っていますが、この曲でも中東の朝の市場の喧噪と賑わいを生き生きと描いています。聴いていて如何にもその市場にいるような気分にさせられます。此の曲には次のような副題がついています。
1.隊商が近づいてくる 2.市場の浮浪者達 3.王女の到来 4.奇術師
5.へび使い 6.太守のお通り 7.又もや、浮浪者達の声 8.王女の出発
9.隊商は旅を続ける 10.遠ざかった王女 11.市場はもとの静かさにもどる。
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当然の当然とは言えアメリカの第44代大統領にに就任したオバマさんの人気がもの凄いです。
日本時間21日未明に行われた就任式には200万人もの人が集まったそうです。ワシントンの人口が60万人と言うからその熱狂振りが想像できます。
アメリカばかりでなく世界中からオバマコールが聞こえています。名前の呼び名が同じと言うだけで日本でも福井県小浜市は大統領選挙の時から勝手に応援団に回り、凄い熱の上げようです。今回の就任式でも大いに盛り上がっているようです。
名前が同じなら、日本国総理大臣「麻生」さんも読み方は違うが「麻生」と書いて「アサブ」と読ませたり「アザブ」と読ませる所が東京と札幌にあります。
しかし、だからと言って東京の「麻生」に人や札幌の「麻生」の人が麻生総理を応援すると言う話は聞こえてきません。麻生太郎総理、如何に人気のなさが分かるような気がします。
さて、オバマさんは黒人として初めての大統領です。アメリカの独立宣言は1776年ですから建国してからまだ233年、言ってみれば歴史的には新しい国です。世界中からあらゆる人種が集まって出来た多民族国家です。従って合衆国なのです。黒人は当時アフリカから連れてこられた奴隷でした。
1861年、第16代大統領に就任したリンカーンが歴史的な奴隷解放を宣言し、奴隷制を維持したい南部と反対する北部で所謂(いわゆる)南北戦争が始まりましかし、がリンカーンは1864年任期途中で暗殺されました。
圧倒的な軍事力と経済力で巨大化し世界を制覇したかのアメリカですが、大きくなったが故の奢りと歪みも抱えています。
世界の各地で戦争を巻き起こし、紛争の種をばらまいています。100年に1渡と言われる経済不況の源凶でもあります。オバマ大統領就任の日の株価が300ドルも下落しました。
オバマさん大大人気の就任式でしたが、この先、難問、難題が待ちかまえています。荒波の船出だと思いますが、オバマさんは、まだ47才と若くやる気満々の人です。期待を込めて注目しましょう。
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札幌市民会館が古くなり昨年取り壊し、現在仮にホールを建てて公演を始めたそうです。私はまだ行っていません。
札幌市は今後本格的な大ホールを建てる計画のようですが、まだ本決まりではないようです。
1/18日付け北海道新聞にその大ホールの是非についてお二人の方が意見を出しあっていました。
現在札幌は音楽専用ホール「kitara」「教育文化会館」「厚生年金会館」他小さいホールもありますが、厚生年金会館は札幌市に譲渡、数年後には取り壊す事が決まっているようです。
札幌市が大ホールを建てるとすれば建築費だけで150億~200億円はかかるそうです。
反対する人はそんな金が有るなら他に幾らでも使いようが有り、贅沢だ!!としています。
賛成する人は芸術とか文化は単に金が有るとかないとかで判断する事はなく、思い切って建ててしまえば何とかなる!!。
難しい問題ですが、私はこのような大きなホールを建てるチャンスは滅多にないと思います。kitaraを建てる時も同じ様な論議が出ました。札幌ドームの時も同じでした。
自治体に金に余裕が出ることは永久にないと思います。無理をしても建てるべきだと思います。現在のkitaraでも音楽ホールとしては充分と言う意見もありますがkitaraは音楽専用ホールなので歌舞伎もオペラも出来ません。
札幌市は現在190万近い人口す。間もなく200万人に達するでしょう。一部の愛好者の為に勿体ないと言う人もいると思いますが、良いホールを作れば素晴らしい芸術家も集まってきます。
折角のチャンス思い切って贅沢をするべきです。立派なホール建設大賛成です。
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北海道で最初にストライキは1886年(明治19年)11月幾春別炭砿(三笠市)で行われました。これが何と女性達だったのです。
選炭場の女性労働者40人による罷業で仕事が鉄道か工事から替わり労働条件が悪化したのを不服としたものでした。
最近では全てにおいて女性上位、オリンピックを始めあらゆるスポーツでも男性は女性に比べ遅れをとっています。仕事でも家庭でも男は女に頭が上がりません。
しかし、明治の時代はまだまだ封建主義の名残が色濃く、男尊女卑の社会でした。(羨ましい!!ヽ(*≧ε≦*)φ)そんな中でのストライキとは・・・凄いパワーです。
ストライキは言うまでもなく、労働者の権利です。金も財産もない労働者の唯一つの抵抗手段です。
私は若い頃炭砿で働いていましたが、その頃の総評傘下の炭労は強く、ストライキは日常茶飯事とまでは言い過ぎとしても、年中行事でした。経営者と組合が交渉して埒が明かなければ即ストライキでした。
最近は組合が弱くなったのか、組合の幹部がだらしなくなったのか全く抵抗の姿勢をみせません。ストライキなんて今では死語になったようです。
数年前プロ野球選手会が行動を起こし『嗚呼!!日本にもまだストライキが存在していたんだ!!』驚いたものです。
それは兎も角、北海道でのストライキ第1号が炭砿で働いていた女性だった事に心から敬意を表したいと思います。尊敬します。
その後北海道で大がかりなストライキが行われたのは1907年(明治40年)3月北炭幾春別炭砿で賃金引き上げと待遇改善巡る起こりました。又同じ頃幌内炭砿(三笠市)で労働者300人が巡査派出所、炭砿事務所、倉庫を襲って焼き払う事件が起きました。
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NHKFMの音楽番組「クラシックカフェ」で珍しいレコードをかけていました。
クライスラーとラフマニノフがベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第8番を共演しているものです。
クライスラーはオーストリア出身のヴェイオリン奏者で作曲家でも有りますが「愛の喜び」「愛の悲しみ」「美しきロスマリン」等現在最も愛好されてヴァイオリン曲を残している作曲者かも知れません。
ラフマニノフはロシア出身のピアニスト、作曲家ですが、交響曲、ピアノ協奏曲、他多数の曲を残しています。私の大好きな曲は「パガニーニの主題による狂詩曲」ですがその中の第18曲は単独で演奏されたり、CMに使われたり特に有名です。
お二人とも作曲の仕事の他に演奏者としても大変優れていてコンサートも開かれていますがこの二人が共演してレコードを出しています。
それが、ベートーヴェンの「ヴェイオリンソナタ第8番」1928年の事です。クライスラーは大変楽観的な人だったそうで、二人で行った録音を聞いて直ぐ満足して良い出来だといましたが、逆に悲観的な性格のラフマニノフは出来映えに満足せず何回も録音を繰り返し、終いに二人で口論になったそうです。
二人の残した録音は金属音が強く、必ずしも良い録音とは言い難いと思いますが東西の巨匠が一同に介し共演された貴重なレコードです。
二人は性格は違うようですが、互いに尊敬しあい、お互いの曲をそれぞ編曲してレコードに残しています。当日はラフマニノフがクライスラーの「愛の喜び」や「愛の悲しみ」をピアノで弾いていました。
クライスラーは1923年5月に1渡だけ日本に来てコンサートを開いています。
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ハイドンが亡くなったのが1809年5月31日、一方メンデルスゾーンが生まれたのが 1809年2月3日です。
今年は2009年、つまりハイドン没後200年、メンデルスゾーン生誕200年の年になります。
ハイドンはオーストリアの作曲家で沢山の交響曲、弦楽四重奏曲を作り「交響曲の父」「弦楽四重奏の父」と称えられ「神よ皇帝フランツを守り給え」は現在ドイツの国歌となっています。
ハイドンの作った交響曲は104曲+α、弦楽四重奏曲は68曲、他の曲を含めると1,000曲を超えると言われています。
一方のメンデルスゾーンはドイツロマン派の作曲家で僅か38歳で亡くなっていますが交響曲から協奏曲ピアノ曲オルガン曲宗教曲など幅広く数々の曲を残しています。
メンデルスゾーンは自分の作曲活動ばかりでなくバッハを始めとするバロック時代の曲を掘り起こし、紹介したり、シューベルトの曲を復興するために積極的に尽力をしています。
今年はこの二人に関するコンサートも各地で開かれたり、CDの発売もあると思います。今年最も注目される作曲家になりそうです。楽しみです。
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日曜朝のテレ「題名のない音楽会」で演歌歌手天童よしみが珍しい歌を歌っているのを放送していました。
何と「テネシーワルツ」です。「テネシーワルツ」は昔江利ちえみが歌っていましたが、元々アメリカの歌だと思いますが、演歌の女王天童よしみさんは堂々と歌っていました。此は放送本番の終わった後のアンコールだそうで、本番ではビゼーのカルメンの「ハバネラ」を歌ったそうで、その場面も少し流していましたが、天童さんオペラ歌手さながらで原語で歌っていました。これも驚きでした。
演歌歌手と言うのは独特の節回しやコブシが利いて独特の味が有るものですが、他の歌を歌う場合、それが障害になって中々上手く歌えないものです。
天童さん流石です。そんな障害もあっさり克服、オペラを歌えばしれらしく、ジャズを歌えばそれらしくこなします。
本当に歌の申し子です。天童さんは勿論押しも押されぬ演歌歌手、他の分野はあくまでもお遊びだと思いますが天才は何をやっても、難なくやっってしまうものと感心しました。天童よしみさんあなたはやはり大天才です。
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明治憲法の下で初めての選挙が行われたのが1890年(明治23年)の事です。しかし、北海道ではその時は選挙権はなかったのです。
理由は分かりませんが1897年(明治30年)北海道区制が、続いて1級町村制、2級町村制が公布になり、待望の道会議員選挙が実施されたのは1901年(明治34年)の事です。
しかし、条件があって3年以上道内に居住し、直接国税3円以上か土地4町歩以上所有する男性だけに限られました。
札幌、函館、小樽で初の衆議院の選挙が実施されたのはその翌年の事です。
今年は必ず衆議院の選挙が有ります。9月まで延ばせば4年の任期を全うする事になります。こんな例は最近では珍しい出来事です。
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NHKBSの音楽探偵「アマデウス」で楽器の王様「ピアノ」を取り上げていました。
ピアノの歴史はそれほど古くなく今から300年ほど前の1700年頃に発明されています。現存する世界一古いピアノ3台は何れも1720年代の物と確認されています。
ピアノの前の弦楽器はチェンバロですが、チェンバロの音の出る仕組みは鍵盤を押すことにより弦を爪で弾きます。従って音の強弱が変える事が出来ません。
その点ピアノはフェルトで出来たハンマーで弦を叩くので音の強弱は容易に変える事が出来ます。
「アマデウス」では楽器の王様の意味が何処から来ているのかも追求していましたが「ピアノ」の鍵盤は白鍵52個黒鍵36個合計88個で全ての楽器の音の高低をカバー出来ます。
楽器は低い音を出すコントラバスの様なのも、ピッコロの様に高い音を出せる等様々なものもあります。「ピアノ」その全ての楽器の音を1台で出すことが出来ます。
更に「ピアノ」はメロディもハーモニーも1台で簡単に出すことが出来ます。他の楽器やオーケストラとの協演も最も得意とするとろです。
奏法は鍵盤を同時に押す事によって複雑な音も、強い音も出ます。正に楽器の王様に相応しい楽器だと思います。作曲者も此の「ピアノ」を使い競って素晴らしい音楽を作っています。我々音楽愛好者にとって嬉しさ一杯の楽器それが「ピアノ」です。
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これは1880年(明治13年)開拓間もない札幌で人間とバッタの壮絶極まる闘争の歴史の証の場所です。
1880年(明治13年)十勝地方で大発生したトノサマバッタが札幌など4国17群に大きな被害をもたらしました。
トノサマバッタは大型で羽も立派で集団で移動、十勝から札幌まで僅か1週間で辿り着いたそうです。農民達は駆除のためローラーで潰したり野原に火を付けたりしましたが、ほとんど効果がなく開拓史は当時の金額で5万円を掛けてバッタを買い上げたそうです。
人間とバッタの命がけの戦いは4年間に及び明治17年長雨が続いたのを機にさしものバッタも全滅、長い戦いに終焉を迎えました。しかし、その年は逆に長雨祟り冷害になり大不作に見舞われました。
北海道の開拓時代の農民の苦労が偲ばれます。手稲山口にはその時退治したバッタを埋めたりバッタの卵を含んだ表土をはぎ取り積み上げた土で盛り上げた「バッタ塚」がその時の農家の苦闘の模様を読み取る事が出来ます。
このバッタと農民の戦いは船山 馨の小説「石狩平野」「お登世」の中でも詳しく出てきます。特に「お登世」ではお登世の父親がバッタを焼き殺すと火をつけて自らも焼け死ぬと言う驚くべきストーリーでした。
今見るバッタは可愛らしい昆虫ですが、此が集団になり作物を根こそぎ食い潰す様は想像するだけで空恐ろしくなります。
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「塩狩峠」は三浦綾子の小説ですがモデルとなった鉄道事故は実際に起きています。
1909年(明治42年)2月28日此の塩狩峠を差し掛かった旅客列車の客車最後尾連結器が外れて客車が暴走しかけたところ、当時鉄道院の職員であり、キリスト教徒であった長野政雄と言う人が列車に身を投げ、客車の下敷きとなり、乗客の命が救われました。
小説家でキリスト教の信者でも有る三浦綾子さんが小説「塩狩峠」を発表、反響を呼びました。
当時私も此の小説を読みました。小説では主人公信夫の親友吉川の妹ふじ子は産まれながら足が不自由でした。吉川一家はやがて北海道の旭川に引っ越していきます。
信夫も吉川の勧めで札幌の鉄道に就職、吉川の住む旭川に訪ねます。19歳になったふじ子はカリエスで寝たきりの状態でしたが、見違えるような美しく明るい女性になって信夫は目を見張りました。ふじ子はキリスト教の信者になっていました。信夫はそんなふじ子に惹かれ結婚を申し込みます。信夫の献身的な愛情でふじ子の病気は奇跡的に回復。いよいよ結婚式の日を迎える事になります。そして事故は起き、必至でブレーキを回し続けたが列車は止まらず、これ以上は無理と判断した信夫はためらわず自分の身を鉄路に投げて列車を止めます。
此の小説は中野誠也主演で映画化もなりました。私は当時神奈川に住んでいまして映画は横浜の「開港記念会館」で見ましたが、感動で涙が止まりませんでした。
実際に鉄道事故起きてから今年で100年になるそうです。他の乗客の命を守るために自分の命を捨てる勇気は私には有りません。あつい信仰の人の尊い行為と思いますが本当に驚きです。
事故の起きた塩狩峠には、彼 長野政雄さんの勇気を称えた記念の碑も建てられています。
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テレビも正月番組から卒業した頃の10日NHKBSでカルタの名人戦が放送されていました。
カルタ名人戦決定戦の行われた会場は大津市の近江神宮です。このカルタは先日書いた北海道の「下の句カルタ」と違い、上の句を読んで下の句を取ると言う本来のカルタです。
しかし、競技カルタですから、優雅だとか、お淑やかとかは無縁です。勝つか負けるかの真剣勝負です。これも「下の句カルタ」と共通の畳の上の格闘技です。迫力満点です。
男性の部の「第55期名人位」は此まで東京都葛飾区在住の会社員 西郷 直樹さんが10連勝せいています。凄いです。
今年の挑戦者は岸田諭さん21歳の学生です。私はテレビで少し見ましたが、西郷さんの強さが若い挑戦者を圧倒していました。結果は3勝1敗で西郷さんが勝ち前人未踏の11連覇を達成。西郷さんの牙城何時まで続くのか、来年からの興味は一体誰が西郷さんを倒すのか!!になってきました。
女性は「第33期クイーン位」です。此方も立命館大学生の楠木早紀さん19歳が今年も勝ち堂々の5連覇達成しました。・・・と言う事は楠木さん14歳から勝ち続けていると言う事になります。こっちの方も凄いです。
競技カルタは日本カルタ協会主催の伝統ある大会です。現在は様々なゲームが有る中カルタは地味で目立たない方だと思いますが、古い時代の和歌を味わい競技を争うゲーム何時までも大事にしたいものです。
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新撰組の二番隊組長を務め、近藤勇、土方歳三、沖田総司、等と共に幕末の京都で活躍した永倉新八は松前藩の江戸藩邸で生まれています。
8歳の時に本所亀沢町にあった岡田十松の撃剣館に入門し神道無念流を修行し、15歳で切紙、18歳で本目録を得ています。つまり剣術は免許皆伝の腕前であったようです。
23歳の時近藤勇等と出会い試衛館の食客となり、文久3年2月、近藤等と共に浪士組上洛(新撰組)参加します。
文久4年(1863年)6月池田屋騒動では近藤勇、沖田総司、藤堂平助と共に切り込み刀を折られ、指を削がれながら奮闘し事件後20両の報奨金を賜っています。
鳥羽・伏見の戦いを経て甲州勝沼の敗戦を最後に近藤、土方との溝が埋められず新撰組を離脱しています。
晩年は北海道の小樽で過ごしています。1882年(明治15年)から4年間に亘って月形の樺戸集治監で看守に剣術指南を務めています。、又札幌で札幌農大(現北大)の生徒に剣術を教えてもいます。
小樽新聞に聞き書き【新撰組永倉新八顛末記】を連載もしています。1915年(大正4年)小樽で亡くなっています。数えで77歳、満75歳、新撰組の中では長寿です。幸せな晩年だったと思います。
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キリスト教の信者の人はご存じと思いますが、一般の人々は北海まで隠れキリシタンの方々が来ていた事は知らないと思います。私も全く知りませんでした。
道南の松前町と福島町、そして桧山群上ノ国町との境界にある標高1071mの山「千軒岳」 「千軒岳」の名は修験が入り込んで浅間(せんげん)の社を祀ったので浅間嶽と言う説、昔砂金堀りの家が千軒もあったからと言う説、他にも泉源、仙見、千剣などと記す書もそうです。
その千軒岳に有った金山には遠い京、大坂から津軽地方に流刑となった人々が北海道に逃げ延びて来たキリシタンの人が金堀作業員となり、ひっそりと暮らしていたそうです。
幕府の厳命を受けた松前藩は大千軒岳の金山を襲って50名を処刑し、更に大沢金山で50人、石崎で6人合計106人を処刑しました。以上は『福山秘話』に記されています。寛永16年(1639年)の事です。
北海道(当時の蝦夷地)にはアンジェリス神父が2回、カルワーニュ神父が2回訪れています。
106人の殉教者の方々の生涯も、出身地もはっきりと分からないそうです。1959年(昭和34年)から7月になると千軒岳への巡礼が行われるようになりました。函館カトリック教徒たちによって現在もこの巡礼は続き、ミサの聖歌が毎年夏山にひびいています。
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何年か前にも「下の句カルタ」について書いた事が有りますが、私たちの若い頃の正月の遊びは北海道独特の「下の句カルタ」が一番でした。私も随分やりました。再度触れてみたいと思います。
「下の句カルタ」は別名「板カルタ」とも言います。全国でも北海道だけの遊びだと思います。
ルーツは諸説有りらしいですが、江戸時代会津藩の武士の手内職説が有力です。北海道に持ち込まれたのは、屯田兵が持ち込んだ説、北方警備団の武士が持ち込んだ説、開拓団が持ち込んだ説等々色々有るようですが、現在のところ正確な事は分からないようです。
百人一首は、元来藤原定家が選んだ和歌集ですから、上の句と下の句で一つの歌になっているので、本当は下の句だけで遊ぶと言うのは邪道かも知れません。
しかし、北海道の「下の句カルタ」は優雅な和歌の世界から離れて、競技カルタとして完全に定着しました。ラジオで講談家神田 山陽さんはやはり北海道出身の人で子供の頃盛んに遊んだが、上の句が有る事は知らなかったと言っていました。
流石に私は上の句の存在は知っていましたが・・・。
さて、遊び方ですが、本州の百人一首カルタと些か違います。本州の方は基本的に一人対一人です。取る札が百枚の中50枚だけです。従って50枚は空札になります。競技では空札を間違えて他の札を触るとお手つきになります。
「板カルタ」は基本的には一チーム3名づつの団体戦です。札は双方50枚づつ配り空札は有りません。勿論間違えて別の札に触ってしまったら、お手つきになります。
読み手は下の句だけを独特の節をつけて読みます。取り札は板ですので迫力があります。畳の上に厚手の布を敷きその上に札を並べ、手を畳に何回も叩き付け気合いを入れます。正に畳の上の格闘技です。
現在は遊びも増えてきて、以前のように盛んではないと思いますが、岩見沢には「板カルタ」の道場もあるそうです。1月2月は各地で大会も開かれているようです。北海道だけの貴重な文化です。何時までも残してゆきたいです。夏はパークゴルフ、冬は「板カルタ」の復活を期待したいです。
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社会風刺コント集団「ザ・ニュースペーパー」が面白いです。此のグループは少し前まではテレビでは全く見る事はなかったです。
私は蔦屋でDVDを借りてきてじっくり見ました。最高に面白かったです。
このグループは正面切って現在の政治界を風刺します。くるくる変わる総理大臣、「自民党をぶっ壊す!!」と息巻いて世間を煙にまいた小泉元総理。「美しい日本!!」の何とかの一つ覚えで辞めていった元安倍総理。「あなたと違うんです!!」と言って何とかの最後ッ屁の前福田総理。愛読書は漫画だけで失言の王様。取り上げるネタの種に不自由はしません。
最近はテレビの「ワイドショウ」にも時々出るようになりました。出来ることなら出て欲しくない保守自民党も押さえる事が出来なくなったのでしょう。
このグループは所謂(いわゆる)声帯模写などの単なる物まねでは有りません。顔を扮装したりカツラを着けて少しでも雰囲気を出していますが、目的は政治家が何を喋ったか、何を言わんとしていたのかを忠実にしかも鋭く再現します。
現在のメンバーはリーダーの渡辺又兵衛、松下アキラ、福本ヒデ、竹内康明、石坂タケシ、土谷ひろし、谷本賢一郎、桑山元延の8人ですが一人で何役もこなします。今度アメリカの大統領になるオバマさんも出てきます。
ネタにされる政治家も辛いと思いますが、名誉の勲章?と思い、せいぜい余り格好の悪いネタにならないよう真っ当な政治をして欲しいものです。
今年は出来る事なら「ザ・ニュースペーパー」がネタ探しに困るくらいのまともな政治が来る事を期待したいです。でも、多分そんな時代は永久に来ないと思いますが・・・。
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暮れにテレビで映画「手紙」を放送していたのを録画しておき後で見ました。
これは東野圭吾の同名の小説「手紙」を映画化したものです。
小説のストーリーは両親が早くなくなり兄弟二人切りになりお互いに励まし合いひっそり暮らしていたが、社会人になっていた兄が頭の良い弟を大学に上げたいと思い、資産家の老婆の家に忍び込み泥棒を計るが、たまたま家に戻ってきた老婆に見つかり、殺してしまう。
一旦逃げるが、台所に有った栗を弟に食べさせたく戻った所を警察に捕まり、刑務所送りとなる。
さて、その後の弟は住まいは追い出され、折角就いた仕事も慣れた頃に兄の事がばれて首を切られる繰り返し。好きな女性が出来ても、そんな境遇が災いし当然実ることはありません。
兄とは1ヶ月に1回の手紙の交換。生きるために兄の存在が終始、彼の行く手に災いし、きっぱり兄と絶縁を決意する。
彼、武島直貴を励まし続け、結婚して直貴を支える女性 白石由実子、就職先の家電メーカーの会長の感銘深い言葉。小説は犯罪者の家族の生き方を綴った力作でした。私も感動して読みました。何とも切ない内容でした。
映画はほぼ原作に忠実に作られていますが、原作では直貴がミュージシャンになるところをお笑い芸人(漫才)に変えられていますが、犯罪者の家族が社会で生きてゆく場所が極端に狭まれている現実は伝わりました。
映画の最後、お笑いを組んでいた相棒に誘われ兄が受刑している千葉の刑務所で漫才をやる場面では思い切り泣けました。小説の感動を再び味わいました。
映画の監督は 生野 慈明 主役の直貴に山田 孝之 彼を励ます女性 白石 由実子に 沢尻エリカ 家電メーカーの会長に 杉浦直樹 直貴の兄に玉山 鉄二
2006年松竹作品。
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シューベルト曲で「アルペジョーネソナタ」と言う美しいの有ります。
正確には「アルペジョーネとピアノのためのソナタイ短調D.821」と言いますがアルペジョーネの為の作品では今日現存する唯一の曲です。
シューベルトは同時期に有名な「死と乙女」も書いています。この曲は楽器自体が姿を消してしまっているのでチェロやヴィオラ、コントラバスで演奏されています。
しからば此の「アルペジョーネ」と言うのはどういう楽器だったのでしょう。
1823年~1824年に掛けてウインのギター製造者ヨハン・ゲオルク・シュタウァーと言う人が発明した6弦の弦楽器です。弓を用いて演奏します。チェロとギター併せ持つ楽器で「ギターチェロ」との別名もあります。外見はバロック時代のヴィオラ・ダ・ガンバに似ています。
丁度此の頃シューベルトの時代と重なりシューベルトは興味を示し、盛んに作曲したようですが、楽器自体は直ぐに廃れてしまったのでシューベルトの曲も1824年の作品ですが、彼の死後1871年に漸く出版されています。
上記の楽器は当時の資料を基に復元されたものです。
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毎年正月恒例になっている東急デパートの「新春将棋まつり」が1/4・1/5の両日開催されました。
私は4日開会式から昼頃まで見ましたが、今年は例年に優る大勢の将棋ファンが押しかけていました。
此の「新春将棋まつり」は今年で第36回目だそうです。今までは弘津九段、その弟子の青野九段が団長として来ていましたが、今年はメンバーを一新、勝浦 修九段を団長に森下九段、屋敷九段、飯島六段、中村四段、矢内女流名人、鈴木女流初段の総勢7名。毎年来ていた講談の神田紅さんも卒業されたようです。
今年は公開将棋では珍しい「指し初め」(全員が一手づつ指す)も披露、和やかに始まりました。
公開対局の最初は絶好調の森下九段と地元札幌出身の屋敷九段、開会式の挨拶で森下九段は北海道がこれまで相性が良いと言おうか、げん良いと言おうかほとんど負けていないそうです。
一昨年チエリアホールで行われたJT杯でも渡辺竜王に完勝、その勢いで見事優勝しました。昨年もその余勢を駆って優勝2連覇を飾りました。
対する屋敷九段も暫くタイトル戦こそ顔を見せていませんが、現在指し盛りの30代、地元で応援するファンの為にも負ける訳にいきません。
出だしは相矢倉のじっくりした駒組み、森下九段の緩手を咎めた屋敷九段がそのまま押し切り見事な勝ちを納めました。中々見応えの有る将棋でした。
私は当日午後から仕事で1番だけの見学で引き上げましたが、充分堪能しました。楽しめました。
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札幌市の中央区にある商店街です。
歴史は古く明治初旬に数軒の商店街飲食店が建ち始め、明治18年現在のデパートの元になったと言われる勧工場(かんこば)が出来、周囲が幹線、道路に囲まれススキノ歓楽街も近く、環境に恵まれています。昭和33年に全蓋のアーケードが完成、観光客や市民で賑わっています。
ところで「狸小路」と言う名前の由来ですが、諸説有る様ですが。
1891年(明治24年)発行の「札幌繁盛記」によると
【狸小路tぽは綽名なり。創成川の西側、南2条と南3条との間の小路をいう。このところ飲酒店とて、西2丁目3丁目にて両側は軒を並べ四十余の角行燈影暗き辺り、一種異体の怪物、無尻を着る下婢体のもの唐桟の娘、黒チリース紋の令嬢的もの無慮、百三、四十匹各衣裳なりに身体をきしらい夜な夜な真面目に白い手をスックと伸ばして北海道へ金庫でも建てようと思い込みから、故郷を威張ってはるばる来た大の男子等を、巧みに生けどり財布の底を叩かせる、ハテ希有な動物かな、その化かし方狸よりも上手なり、人々はかくは「狸小路」となん呼べるなり】
つまり、この界隈に顔に白粉をぬった女性が現れて男性を誑かし、金を遣わせると事が狸に化かされる・・・から「狸小路」の名前が付いたと言う説です。
一方この辺り昔は野原で実際に狸が出没した事からと言う説もあります。
何れにしても現在の賑わいは活気に溢れています。狸の出る幕もなさそうです。
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正月恒例の大学生による箱根駅伝は2日の往路3日の復路で行われました。
下馬評の本命校が次々脱落する中、何と伏兵校の東洋大がまんまと往路、復路共の完全優勝を飾りました。
往路の2区で山梨のモグスが驚異的な区間賞をとれば日大のダニエルが20人抜きの新記録を打ち立て、大相撲同様外国人留学生の活躍で沸きました。
更に驚いたのは往路の最終5区の山登りで東洋大の1年生ランナーの柏原が9位で襷を受けた時点で1位早稲田の差が5分近くあったのをジリジリ追い上げあれよあれよと言う間に追いつき遂に逆転、そのままゴールイン。東洋大の往路初優勝をもたらしました。
昨日3日の復路も勢いはそのまま持続、一時早稲田に抜かれたものの最後はしっかり勝ちきり、復路も優勝。勿論総合でも初優勝。ビックリしました。
駅伝は本当に筋書きのないドラマを見せてくれました。1年生の柏原の大活躍も有りましたが全員が勢いに乗った感じです。初日の往路を終えた時点で早稲田は16年振りの優勝を確信していたと思います。
それにしても東洋大の柏原竜二選手、凄い新人が出てきたものです。これから楽しみな悦材です。
久しぶりに興奮した箱根駅伝でした。面白かったです。
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1月元旦NHKBS2で午後3時半から6時間に亘り「昭和なつかし亭」を放送していました。別に昔を懐かしむ気はありませんが、確かに昭和時代の芸人達は面白かったです。藝がしっかりしていました。
最近はテレビ時代です。入れ替わり立ち替わり若者達の芸人がテレビに出てきますが、どれを見てもさっぱり面白くないです。しかも、出てきては消え、名前を覚える暇も有りません。
その点、昭和時代の芸人達は見ていて安心して見ていられました。「てんやわんや」「Wけんじ」「早野凡平」「佳子好江」「千夜一夜」「いとしこいし」「小さん」「三球照代」兎も角これぞ昭和の芸人そのものです。
案内人の一人として柳家いっ平も出ていて一席語っていましたが、驚いた事に父親の三平にそっくり、本人は特に意識していないと言う事でしたが血を分けた親子のなせるせいなんでしょう。そのいっ平さん今年の3月に三平を襲名するそうです。
「あした ひろし順子」も生放送で出ていました。このコンビも長いです。何時見ても同じネタですが、笑えます。これが藝の力なんでしょう。ひろしさんは86歳だそうですが、少しも衰えをみせません。凄いの一言です。
この番組は毎年恒例となり元旦に放送していますが、昭和の達人の藝いくら見ても見飽きません。来年も楽しみしたいと思います。
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円空は江戸時代前期の天台宗のお坊さんで「円空仏」とも呼ばれる独特の作風を持った仏教彫でもあります。
生涯に12万体の仏像を彫ったと言われていますがその円空さん北海道にも来ています。
円空は美濃国(現在の岐阜県)の生まれと郡上市三並町生まれの二つの説があるそうです。寛永9年(1632年)の生まれとなっています。北海道には寛文6年(1663年)津軽藩を追われて青森経由で松前に渡って来ました。太田神社を始め道南各地を周り布教の傍ら仏像を彫り現在北海道で40体ほどの仏像が確認されています。
円空仏はごつごつした野性味溢れる独特の味わい溢れていて不可思議な微笑みをたたえています。魅力のある仏像です。「鉈彫り」とも言われています。
北海道で彫った仏像は広尾町、伊達市、苫小牧、釧路、上の国、長万部、乙部、福島町、等各地で見る事が出来ます。
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平成21年2009年1月1日元旦です。
1月1日つまり元日の日の朝の事を特に元旦と呼びます。
札幌の元旦はここ数年良くて曇り、ほとんど日の出を見る事は出来ません。今年も生憎の天気になりました。全国的には東京近辺だけが晴れで、その他は曇り空のようです。せめて快晴の富士山の写真で気分を味わいましょう。
年末にかけて珍しく麻生総理の話題が聞こえてきません。噂によれば、周囲の取り巻きが必至になって成る可く麻生太郎総理を表に出さず、万一、表に出しても、余計な事を言わないよう目を配っているらしいです。
この人だって一応お坊ちゃん、お嬢さん学校(学習院)を出ています。ジサマは元総理大臣だった吉田茂、父親は九州の麻生財閥と毛並みだけは良いです。黙っていれば一丁前です。一人前です。
一国の総理大臣が黙っていて一人前は情けないです。悲しいです。不幸です。
大体この国は二世、三世議員が多すぎます。人間も後へゆくほど濃さが薄まってくるようです。安倍や、福田のようなひ弱で見栄っ張りが出来たり、小泉や麻生のような怖いもの無しの乱暴者でオッチョコチョイが出来上がるようです。概ね出来損ないが現れるようです。
麻生太郎漫画総理、此処で一気に名誉挽回のチャンスがあります。此処は思い切って2世、3世議員禁止法を提出、強引に可決させる事です。
こうすれば歴代に名を残す名総理と地元はおろか国会に大好きな銅像が建つ事でしょう。今から得意のポーズでも考えておいた方が良いでしょう。
今年は幾ら先延ばしにしても9月には衆議院の任期は切れます。その前の1月5日から国会も始まります。迷走を続けた「金配り」と悪名の高い一律給付金ももめそうです。
これが引き金になって一気に選挙になるかも知れません。もしかしたらグチャグチャの与野党の再編があるかも知れません。
何れにしても麻生太郎総理の終焉は近そうです。大荒れの年の予感の年は明けました。今年も私の自民党を始めとする保守政党嫌いは健在です。今年も自民党がブッツ潰れるまで悪口を書きますヨ。
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