新撰組永倉新八の最後は小樽です。
新撰組の二番隊組長を務め、近藤勇、土方歳三、沖田総司、等と共に幕末の京都で活躍した永倉新八は松前藩の江戸藩邸で生まれています。
8歳の時に本所亀沢町にあった岡田十松の撃剣館に入門し神道無念流を修行し、15歳で切紙、18歳で本目録を得ています。つまり剣術は免許皆伝の腕前であったようです。
23歳の時近藤勇等と出会い試衛館の食客となり、文久3年2月、近藤等と共に浪士組上洛(新撰組)参加します。
文久4年(1863年)6月池田屋騒動では近藤勇、沖田総司、藤堂平助と共に切り込み刀を折られ、指を削がれながら奮闘し事件後20両の報奨金を賜っています。
鳥羽・伏見の戦いを経て甲州勝沼の敗戦を最後に近藤、土方との溝が埋められず新撰組を離脱しています。
晩年は北海道の小樽で過ごしています。1882年(明治15年)から4年間に亘って月形の樺戸集治監で看守に剣術指南を務めています。、又札幌で札幌農大(現北大)の生徒に剣術を教えてもいます。
小樽新聞に聞き書き【新撰組永倉新八顛末記】を連載もしています。1915年(大正4年)小樽で亡くなっています。数えで77歳、満75歳、新撰組の中では長寿です。幸せな晩年だったと思います。
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