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2009年2月28日 (土)

映画「小林多喜二」

9119_1_2 2月26日教育文化会館の4F講堂で映画「小林多喜二」が上映されました。

会場は立錐の余地のない程の込みようで遅く行った私は辛うじて補助椅子を借りて座る事が出来ました。立ってみている人も大勢いました。

この映画は1974年(昭和49年)に作成されていますから今から35年も前に作られています。

監督が今井正、ナレータ役が横内正、主役の多喜二役が山本圭、恋人のたき役に中野良子、多喜二の母親役に北林谷栄他に良心的な役者が豪華に勢揃い、総動員と言った贅沢なスタッフで作られました。

物語は秋田の貧しい農家に生まれた多喜二一家がやがて小樽でパン屋を経営していた叔父の所を頼って引っ越してきます。

ずば抜けて頭が良かった多喜二は小樽商業学校から高等商業(現小樽商大)に進みます。多喜二は絵画にも優れた才能を発揮しますが、やがて文学に情熱を燃やし志賀直哉を尊敬し、自らも作品を書くようになります。

高等商業を卒業後小樽拓銀に就職、飲食店「たまき屋」の美人酌婦の田口たきを愛するようになり、自分の有り金と友人から借りて恋人たきを救い出します。

その頃の日本は日本軍国主義の台頭期でして治安維持法が制定されました。各地で抵抗運動が組織され時代の鼓動は多喜二の胸を激しく打ちました。昭和3年初めての普通選挙が行われ労農党の山本宣治候補の応援演説に隊に加わりました。その時の模様は後に「倶知安行き」に書かれています。

多喜二は小説を書く傍ら、熱心な活動家への道を歩き始めます。小樽拓銀も解雇され上京し、積極的に活動するようになります。やがて日本共産党に入党、地下活動に入ります。

1933年2月20日特高のスパイの手引きによって逮捕されその日の中に特高の手によって惨殺されます。

映画は多喜二の青春時代の生き様を当時の時代背景と共に描いています。母親思い、家族思い、貧乏故に酌婦として働いていた恋人たきへの思い、愚かな戦争へ突き進む政府への怒りを克明に辿っています。

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最近、多喜二の小説「蟹工船」を読む人が増えているそうです。漫画にもなっているそうです。

漫画しか読まない麻生総理は読んだでしょうか?

日本の政治家は隙があれば再びあの忌まわしい戦争への道に逆戻りを図っているようにみえて仕方が有りません。

世の中は不景気が続いています。就職難、なりふり構わない派遣切りの横行。多喜二が命を掛けて抵抗した尊い活動を少しでも思い返す良い機会になった映画「小林多喜二」でした。

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2009年2月27日 (金)

北海道の名付け親

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私たちが住む北海道の名前を付けた人は探検家の松浦武四郎です。

松浦は三重県松坂市で1818年に生まれています。

松浦は当時の蝦夷を始め択捉島や樺太にも足を延ばし調査し「東西蝦夷山川地理取調図」を出版しています。

明治政府が誕生し、蝦夷地に開拓史が出来て1869年には開拓判官に任命され蝦夷だった地名を「北海道」にしています。その他アイヌ語の地名を基に国名、群名を選定しています。札幌を始め北海道の地名はアイヌ語が基になっていますがこれは松浦武四郎が中心になって付けたものです。

尚「北海道」は6つの候補の中の「北加伊道」から出来ています。因みに松浦の号は「北海道人」どこまでも北海道を愛した人のようです。

松浦はアイヌの人たちの文化を大事にし、アイヌの人たちの擁護を積極的に意見を提案しましたが開拓史の幹部が取り上げなかったので開拓史の職を辞し、北海道を離れています。反骨精神の旺盛な人だったようです。

釧路に鉄北地区に松浦町と言う地名が有りますが、此の地名が生まれたのは昭和7年ですが、理由は松浦が釧路が東蝦夷地で第一の都会になると言った事の達見に敬意を表しての事です。

松浦は晩年隠居生活に入り著書活動をして暮らしていましたが、死ぬ前の年70歳で富士山を登っています。生涯探検家の精神は健在だったようです。1888年(明治21年)71歳で東京五軒町の自宅で亡くなっています。

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2009年2月26日 (木)

ロミオとジェリエット

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「ロミオとジェリエット」はイングランドのウイリアム・シュークスピアの戯曲です。

シュークスピアは「リア王」「マクベス」ハムレット」「オセロ」等多くの戯曲を残していますが、此の「ロミオとジェリエット」は1595年前後に書かれたと言われています。

物語は究極の悲劇と言われていますが・・・

舞台は14世紀のイタリアの都市ビェローナ。モンタギュー家とキューピテット家の血で血を洗う抗争の真っ最中。そんな環境の中でモンタギュー家のロミオとキュピュレット家のジェリエットが恋に落ち、修道士ロレンスの元で密かに結婚する。ロレンスは2人の結婚が両家の争いに終止符を打つことを期待します。

しかし、ロミオは街頭での争いに巻き込まれ、親友マキューシオを殺された仕返しにキャピュレット家の夫人の甥ティボルトを殺してします。

色々有った後ロミオは毒を飲んで死に、ジェリエットもロミオの短剣で後を追います。事の真相を知り悲嘆にくれる両家は遂に和解します。

大体のストーリーは上記の通りですが、沢山の作曲家が競ってこの戯曲を題材に作曲しています。

ベルリオーズが 劇的交響曲「ロミオとジェリエット」

チャイコフスキーは 幻想序曲「ロミオとジェリエット」

他にラフ、グノー、カバレフスキー等々の名前が上がります。又、オペラ、バレエ、映画、テレビドラマ等々繰り返し作られています。

Westside3 Westside2 Westside4 指揮者のバーンスタインが作ったミュージカル「ウエストサイド物語」も「ロミオとジェリエット」を題材に舞台をニューヨークのウエストサイドに移し、ジェット団とシャーク団のチンピラ同士の争で、トニーとマリアの互いに敵対するグループの恋人が死んでしまうと言う悲劇を見事に舞台に作りました。私は此のミュージカル「ウエストサイド」が大好きで何回も見ていますが音楽の一つ一つが良くできています。日本でも「劇団四季」がミュージカル公演をしています。

400年も前に書かれたシュークスピアの戯曲がこれほどモテモテの作品も珍しいです。此からも繰り返し姿を変えて活用される事でしょう。

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2009年2月25日 (水)

「おくりびと」がアカデミー賞受賞

200902240180001view日本映画「おくりびと」が第81回アカデミー賞の外国語賞を受賞しました。

又短編アニメ部門で加藤久仁生監督の「つみきのいえ」も受賞して日本作品で初めてW受賞すると言う久々喜ばしいニュースです。

今回の外国語賞は他にフランスやイスラエルの作品が下馬評が高く「おくりびと」は受賞には大分遅れをとっているとみられていました。

「おくりびと」は亡くなった人を綺麗にして棺に納める事を職業の人にスポットを当てて作られています。人は必ず何れかの時期に死を迎えます。その亡くなった時に必ず納棺師にお世話になります。しかし、重要な割には余り好んで就く仕事では有りません。

そんな職業をテーマにした映画は勿論日本では初めてでしょう。主役を務めた本木さんが映画会社に映画化を持ち込み暫く二の足を踏んだそうです。

それを滝田監督が思い切って映画化に踏み切りました。私も封切りになって直ぐ観に行きました。思い切り笑い、泣いてきました。

テーマが納棺師ですが、中々ユーモアがあって見事な作品に仕上がりました。充分楽しめました。日本国中で観客動員数、興行的にも大成功だったそうです。

秋になり日本国中の賞を独占、その勢いを駆ってアカデミー賞に候補に挙がりあれよあれよと言う間に本当に受賞してしまいました。

最近の映画はCDを使い、金をふんだんにつぎ込み、荒唐無稽な映画を作るのが流行っています。それに対し此の「おくりびと」はそんなに金も掛けずに、人の嫌がる仕事にスポットを当て、地道にじっくり作りました。正に日本人の勝利です。

暗いニュースが後を絶たない最近では手放しで喜ぶべきニュースです。心からオメデトウと称えましょう。

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2009年2月24日 (火)

八窓庵

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札幌の中島公園の中にある「八窓庵」は歴史の浅い札幌では極めて古い建造物です。400年前の茶室です。

私が札幌に来た当初、八窓庵と言うからてっきり蕎麦屋と思い、訪ね当てて行ってみたら古い古い茶室でした。

そもそも、此の茶室は滋賀県小室城内に有りました。江戸時代の大名茶人の小堀遠州の作と言われています。その茶室が何で札幌に有るのか?。

発端は天明8年(1788年)小堀家が藩財政の悪化と失政を理由に転封を命じられ、小堀家に伝わる貴重な財産が散逸、八窓庵も滋賀県の長浜八幡宮俊蔵院へ移される事になりました。更に明治初頭俊蔵院の学頭へ移築され大正8年札幌の実業家(北海タイムス取締)の持田謹也氏が買い取り札幌に持ち帰りました。

その後八窓庵の所有者は持田氏からやはり実業家の長沢元清氏に変わり、昭和26年長沢氏から札幌市に寄付され、現在の中島公園に移りました。

八窓庵は茶室ですが8つの窓が有るため「八窓庵」と言われますが2006年春大雪の為押しつぶされ昨年改修が終わりました。

現在は公開されていませんが4月以降一般公開されるようです。公開されたら仕事帰りにでも立ち寄ってみたいと思っています。

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2009年2月23日 (月)

日本の世界遺産「日光の社寺」

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栃木県日光市に存在する二社一寺

日光東照宮・日光二荒山神社・日光山輪王寺の103棟(国宝9棟、重要文化財94棟)の建造物群とこれ等の建造物群を取り巻く「遺跡が世界遺産として1998年登録されています。

此処日光の東照宮には1616年(元和2年)静岡で亡くなった徳川家康が祀られています。家康が此処に祀られるようになったのは家康本人の遺言により3代目将軍徳川家光が本格的に着手して完成をみています。

Sleepingcatnikko 此の二社一寺は見所一杯左甚五郎作と言われる「眠り猫」他【見ざる・言わず・語らず】の所謂「三猿」の彫刻も沢山見ることが出来ます。しかし、左甚五郎さんと言う人は江戸時代の伝説の人物で本当に実在した人かどうかは分からないそうです。

日光へは私も何回か行きましたが、広大な敷地に国宝級の建造物や彫刻がふんだんにあります。当時の徳川の権力を誇示したかったのでしょう。金に糸目を付けない贅沢な建物や彫り物の数々に驚かされます。

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2009年2月22日 (日)

目くそ鼻くそ

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日本の政界は今や泥沼状態、まともに正視出来ないほど末期状態です。

先頃の中川財務大臣のイタリアでの泥酔会見は世界に日本の恥をさらけ出しました。ご本人は酒のせいでなく、風邪薬の飲み過ぎだと言っていますが、風邪薬で酔っぱらう人は聞いた事が有りません。言われた風邪薬が気を悪くしている事でしょう。

中川昭一元財務大臣の奥方は気丈の方と言おうか、立派な人のようです。あれだけの醜態の姿をテレビで見せつけられた後で自宅に帰って来たご主人様に向かって顔は見えませんでしたが、家の中から盛んにエールを送っていました。『ガンバレ!!大丈夫!!日本一!!』 今一日本一の意味は不明ですが、恐らく日本一の飲んべえ~??世界一でないのがせめてもの救いでしたが・・・。奥方の悲痛な叫びが悲しすぎました。

麻生太郎ぼんくら総理は最後まで酔っぱらい大臣を庇い続けて恥の上塗り、本当に情けない限りです。こんな総理に国民もあきれ果てて、支持率も下がり続け軒並み10%を切りました。もはや政権維持は限界です。

さて、たった3年前なのに4代前の小泉純一郎元総理が沈黙を破って暫く振りにトレードマークの髪を逆立てて吠え始めました。

自分が長年の悲願の末、政治生命を掛けてやり遂げた「郵政民営化」にケチを付けられ怒り出した様です。

麻生太郎現総理大臣の4社分割化を見直すような発言が頭にきたようです。

序でに定額給付金(国民全員に一律1万2千円を配ると言うもの・・・)に関して衆議院で三分の二条項を使って通す事に文句があると言う事です。

そもそも衆議院の三分の二の議席は誰がどの様にして獲得したのか?。誰でもない自分小泉純一郎一人の功績の上に勝ち取ったものだ!!。だそうです。

それを断りもなく勝手に使うのに問題がある!!と言いたいらしいです。

しかし、あの郵政民営化に対し野党は反対、自民党内部でも大量の造反者が出て、てんやわんやの騒動を起こした事は誰でも知っています。

その後改心?して自民党に戻って来た人もいますし、亀井静香さん達の様に他に政党を作った人と様々です。更に今回は麻生太郎総理自身が「実はあの郵政民営化に反対だった!!」なんて言い出しています。

「郵政民営化」自体が良かったのか悪かったのかは分かりませんが今話題の「かんぽの宿」の問題で不明瞭で怪しい噂も出ています。

小泉純一郎元総理も「欠席する」なんて中途半端な事を言うのではなく、ハッキリ「反対票を投じる」くらいの事を言った方が良いです。

「郵政民営化」で反対した議員の首をバッサリ切った小泉が今度は逆にバッサリ切られる!!と言う、それこそ前代未聞の麻生劇場が見られるかも知れません。

何れにしても、どちらもやるならトコトンやっってみたらどうでしょう。この方が我々野次馬としては面白いです。「ヨ-待ってました!!」と大向こうから声を掛けてやります。

まあ所詮は自民党の中のお馴染みの争い、目くそと鼻くその戦い、大事にならないで収まるところに収まるのでしょう。

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2009年2月21日 (土)

3づくし

2月19日付け北海道新聞の夕刊に非常に珍しい記録づくめの明るい記事が掲載されていました。

札幌白石区にお住まいの氷室宅の三つ子ちゃんが今年の3月3日に満3歳の誕生日を迎えるそうです。

しかもお父さんの信康さんもお母さんの美由紀さんの年齢も33歳だそうです。正に3づくし、こんな記録狙ったって作れるものでは有りません。偶然とは言え驚きです。

こんな記録世界でも絶対ないと思います。ギネスブックに申請すれば登録間違いないです。

夕刊には3人の可愛い写真も載っていました。因みに3人のお名前は子龍(しりゅう)ちゃん、孟旗(もうき)ちゃん、心愛(ここあ)ちゃん。

三つ子ちゃんすくすく育ち、成長をして欲しいです。

ぶれまくり総理や酔っぱらい大臣やら元総理の郵政民営化に執着する見苦し姿等ウンザリしていたニュースの中で珍しく明るい話題でした。3・3づくしの三つ子ちゃんの話題アリガトウ。

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2009年2月20日 (金)

「砂の器」松本清張

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松本清張推理小説「砂の器」を久しぶりに読み返しました。此の小説は清張作品の代表作とも言って良い本です。

私のは上下2冊でなく1冊になった単行本ですが、中々ずっしりと読み応えがありました。此の作品は此まで何回も映画化されたり、テレビで放送されています。

荒筋は東京の蒲田駅終電車が出た後の車庫の中にボロ切れの様に捨てられていた1個の死体。一つの証拠も足跡も残さず煙のように消えてしまった犯人。迷宮入りした事件を執拗に追いかける老刑事。

被害者と犯人が残した僅かな会話から「かめだ」が物語の重要な手がかりになる。コツコツと足を運び、一つ一つパズルをはめ込むような直向き(ひたむき)で気の遠くなるような刑事の仕事ぶりが伝わってきます。

作品の背景に社会的に忌み嫌われていたハンセン氏病が描かれています。この為、社会派小説とも言われています。

推理小説の原点とも言える作品「砂の器」最高に面白かったです。

※ 注 写真の上をクリックすると大きくなります。

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2009年2月19日 (木)

「憎悪の依頼」松本清張

115820982_1松本清張が小説新潮やサンデー毎日、サンデー朝日などに発表した短編を10編を1冊に纏めて出した本です。

1.憎悪の依頼 2.美の虚像 3.すずらん 4.女囚 5.文字のない初登攀 6.絵はがきの少女 7.大臣の恋 8.金環食 9.流れの中に 10.壁の青草

以上ですが、勿論それぞれの作品はテーマも内容も全く違いますが、松本清張と言う作家の幅の広さ、知識の豊富さを改めて認識させられた短編集です。

「憎悪の依頼」は孤独な男性の秘められた殺人の動機を追及した推理小説。「すずらん」は此の作品の中で一番推理小説らしい作品です。一人の女性が行方不明になりますが、彼女のカメラが北海道で発見され、中に旭川で写されたと思うすずらんをバックにした彼女(矢須子)の写真が出てきます。しかし、彼女の死体は何処からも出てこなく、彼女と歩いていた新進画家(平吉)に疑いがかかりますが・・・他に「女囚」は酒乱で乱暴から母を庇う為に実の父親を殺した女性の奇妙な確信の独善性を描いています。

等々それぞれが意味深長な人間の生き様を清張さんらしいタッチで書かれていて味わい深く読みました。それにしても清張さん長編、短編と幅が広いです。

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2009年2月18日 (水)

知里幸恵さん

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知里幸恵さん『アイヌ神謡集』を書いた人です。

幸恵は1903年登別に生まれ当時のアイヌの人では珍しく女学校を出ています。

祖母がユーカラクル(カムイユカラを謡う人)だったため幸恵はカムイユカラを身近に聞く事が出来る環境に育ちました。

15歳の時祖母の所に言語学者の金田一アイヌ伝統文化を取材に訪れた事からアイヌの伝統文化への尊敬の念、カムイユカラ研究への熱意を感じるようになり、カムイユカラを日本語に翻訳する事を決意し、その作業に没頭します。

やがて幸恵は東京して金田一京介の家で翻訳を続け持病の心臓病と戦いながら遂に「アイヌ神謡集」を完成させます。しかし、完成後病状は悪化僅か19歳の短い一生を閉じます。

昨年10月NHK「その時歴史は動いた」の番組を見ましたが、彼女の翻訳方法は左側にローマ字で訳し、右側に日本語で清書します。相当重い病気だったと思います。凄い頑張りだったと思います。彼女の実際に書かれた見事な筆で書いた文字や翻訳に使われたノート、日記等も残っていてテレビでも見られる事が出来ましたが何れも見事なものです。唯々感心しました。

【銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに】で始まる「アイヌ神謡集」はアイヌ文化の伝統を今に伝える役目を果たしていると言うより、知里幸恵の純粋に「アイヌ神謡集」を愛読する人がドンドン増えているそうです。

言語学者で北大の教授を勤めた知里真志保は幸恵の弟です。

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2009年2月17日 (火)

恥曝し

Thumbmainichi2009021600e067headline つい先日国会の演説で「渦中」(かちゅう)を「うずちゅう」と堂々と読み上げ日本国中で人気NOワンになったばかりの中川財務大臣今度は外国でやってくれました。

この人の酒癖は札付きで過去にも色々の武勇伝が数え切れない位有ります。

麻生内閣誕生の時も森元総理は特に中川の酒癖に付いて大丈夫かと釘を刺していたそうです。

私もテレビを見ましたが足下はフラフラ呂律が回らず、目はとろんとして定まらず誰が見ても酔っぱらっていました。酒豪で聞こえた中川さん相当の量を飲んだのでしょう。表現は悪いがグデングデンです。しかも外国で公式の記者会見の場所です。

これを風邪薬のせいにするのだから賢いです。悪知恵の頭は良いのでしょう。それにしても外国にまで行ってこの恥曝し世界の笑いものです。

中川さん自身の進退を聞かれて「総理の判断に任せる!!だって」

さあ、任された麻生太郎総理一体どうするつもり・・・・総理の支持率に下落は止まりません。遂に10%を切ったようです。此の体たらくに歯止めを掛ける為にも此処は思い切って此の破廉恥大臣の首を切る事をお勧めします。

しかし、今の麻生総理では到底出来ないと思います。元総理の小泉純一郎に馬鹿にされても一言の言い訳も出来ない男です。あれだけの事を言われても「私に対して叱咤激励でしょう!!」腑抜けも良いところです。

少しは骨が有るなら、「安倍、福田、麻生と歴代総理がやりくりに四苦八苦しているのは全部お前せいだ!!」「今は俺が自民党の総裁だ!!文句があるならお前を除名スルゾ!!」位の事を言うべきです。

こんな腰抜け総理に中川欠陥大臣を首が切れる筈はないです。こうなったら野党諸君の頑張りに期待しましょう。

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2009年2月16日 (月)

「修羅と生きる」梁石日(ヤンソギル)

21c0v65dgwl__sl500_aa140_ 梁石日(ヤンソギル)大阪生まれで韓国済州島で育った在日朝鮮人の作家です。

1936年生まれなので私と同じ年になります。彼の生い立ちを描いた私小説的な作品です。

終戦の頃は大阪に住んでいたようで、彼の父親は並外れの体格を持った人だったようで、相当乱暴な性格で母親と家族は常に恐怖に怯えて暮らしていたようです。母親は子供を庇い身を粉にして働いていたらしく、彼ヤン君は生涯父を憎み続けたようです。

彼ヤン君も在日朝鮮人としての境遇の中で詩を作るグループに入り文学青年としての下地を育んでいったようです。在日朝鮮人の詩人、小説家の交流も有ったりしてやがて印刷業を始めますが、事業が失敗して放浪生活の末タクシーの運転手生活に長く入ります。

此の作品「阿修羅に生きる」ではタクシー運転手になるまでの波乱万障の生き様を描いています。中々読み応えのある作品です。

彼の文学仲間や従兄弟達は北朝鮮のきんにち「金日成」の思想に共感を持ち北朝鮮に渡って行った人も数多くいたようです。彼自身も「金日成」に憧れていたようですが、何故あの時日本に踏みとどまったのかは分からないと書いています。

彼ヤンさんはタクシー生活の経験を面白可笑しく書いた「タクシー狂躁曲」で小説家でデビューしています。此の小説は崔洋一監督で映画化になっています。

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2009年2月15日 (日)

大通り11丁目の銅像

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札幌の大通り11丁目に二つの銅像が立っています。

黒田清隆とホーレンス・ケプロンです。明治2年札幌に北海道開拓史が出来た時に活躍した二人です。

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黒田清隆は薩摩藩の藩士として幕末に薩長同盟の為に奔走し1868年から1869年の戊辰戦争に際しては北陸戦線から函館戦争まで参謀として指揮をとりました。

明治2年北海道の開拓でも常に先頭を切って指揮を執り開拓次官、開拓長官として1870年から1882年まで開拓史のトップを執りながら東京で政府首脳として1876年日朝修好条約を終結し1877年の西南戦争では熊本城の解囲に功を立てた。

開拓史の廃止直前に開拓史官有物払い下げ事件を起こし指弾されました。政府高官と大手民間企業の癒着は今の「かんぽの宿」同様、癒着は半ば常識です。

黒田清隆は1888年(明治21年)4月から内閣総理大臣になっています。

240pxhorace_capron ホーレス・ケプロンはアメリカ合衆国の軍人、政治家で1871年当時渡米していた黒田清隆に懇願にされ、同年7月訪日。開拓史御雇教師頭取兼開拓顧問となって4年間日本に滞在1875年に帰国しています。

日本では積極的に北海道を視察し多くの事業を推進しました。札幌農学校の開校までお膳立てしたのもケプロンです。

ケプロンの仕事は多岐に亘り北海道の道路建設、鉱業、工業、農業、水産業など開拓のほぼ全領域に渡っている。

北海道には気候的に米が育たないので麦の栽培を積極的に作るよう奨励、そのことが後に開拓史麦酒醸造所(後のサッポロビール)が設立される遠因になっています。

ホーレンス・ケプロンは北海道の開拓の道しるべを示してくれた大恩人です。

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2009年2月14日 (土)

サンサーンス「動物の謝肉祭」

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フランスの作曲家サンサーンスの組曲「動物の謝肉祭」は中々機知に富んだ面白い曲です。全部で14曲からなっていますが、他の作曲者の曲を余りにも皮肉ってパロディ化している為にサンサーンスが生きている中は一度も演奏される事は有りませんでした。

今は人気が高く、コンサートで良く演奏される機会のある曲の一つです。

例えば4曲目の「亀」はオフッヘンバックの「天国と地獄」が基になっていますが、この曲は軽快で賑やかな曲ですが此の曲の中では殊更ゆっくり、ゆっくりまるで亀が歩くように描いています。5曲目の「象」はベルリオーズの「ファストのぼう罰」tpメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」の曲を巧みに取り入れ象のように堂々と行進させています。又11曲目のピアニストは軽快に弾くピアニストをワわざに下手くそに弾くよう指示しています。12曲目の「化石」は自作の「死の舞踏」やロッシーニの「セビリアの理髪師」やキラキラ星を一緒にして一つのメロディに作っています。

13曲目の「白鳥」だけは掛け値無しに真っ当な美しい曲です。他の曲が余りにも他の人の曲を茶化しているので此の「白鳥」は際だっています。静かな湖で白鳥が優雅に泳いでいる姿が目に浮かびます。季節は多分寒い寒い冬だと思います。

此の「白鳥」だけはサンサーンスが生前中唯一単独で演奏される事を許された曲ですが今でもしばしば此の曲だけ抜き出して演奏される事が多いです。

是非此の「動物の謝肉祭」全曲を通して聴いてもらいたい曲です。

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2009年2月13日 (金)

馬場さんの投稿文

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私が神奈川県の相模原市に住んでいた頃、音楽を聴く会「相模音楽同好会」の運営に携わっていた時の仲間、馬場さんから便りがありました。

人間学を学ぶ月刊誌「故知」と言うのが有るそうです。その月刊誌の昨年5月号に馬場さんの文章が掲載されたそうです。馬場さんが若い頃からの持病「糖尿病」を抱えながら音楽活動を続けた馬場さんの壮烈な人間史です。

彼女とは相模原在住中一緒に音楽活動をずーとやってきましたから、よく知っていますが、病気の事は全く感じさせない常に明るく前向きの人です。音楽家としても人間としても最も尊敬出来る人です。月刊誌に掲載されたコピーされた文章が入っていました。少々長いですが全文紹介します。

【歌に生命の炎を燃やして今日(いま)を生きる】      馬場祐子

宮本輝の「二十歳の火影」と言う著書の中に「蜥蜴(とかげ)」という3ページほどの短編があります。-ある男が3年ほど住んだアパートを引っ越す際、棚を移動しようと裏を見たら、蜥蜴が挟まっていた。壁と棚の間に打ち込んだ釘に身体を貫かれた蜥蜴は驚いたことに生きていた。悩んだ末、男は釘を抜く。たとえそのために命をおとすことになっても、蜥蜴はこの釘を抜いてほしいだろうと信じて・・・。初めてこれを読んだ時、衝撃が走りました。十代半ばで発症し、五十余年間糖尿病と付き合ってきた自分の人生そのもののように思えたからです。

いま、私は幸いにも歌い手として元気に活動させていただいています。しかし、糖尿病以外にも網膜症や狭心症など約30の合併症を併発しており、通院中の病院は12ヶ所、インスリンの注射は日に4回、更に11種類のもの薬を服用しています。のように常に死と直面して生きる私の姿が蜥蜴と重なったのです。

兆候は小学生の頃からありました。喉が渇き水を大量に飲み、ひどい倦怠感に襲われました。高校生の時に糖尿病であることが分かりました。「もう普通の女の子ような生活はできない」と思いました。日常生活を送る上で制限があることに不自由を感じました。糖尿病は多額の治療費がかかるため、洋服を買ったり、旅行することなどは諦めました。自分は人並みでないという劣等感に苛なまれて思い悩んだことも多々ありました。

日々病と向き合う生活の中で結婚して、1年目、子供ができました。出産に当たって医者からは「出産は難しい」と言われましたが、子供を産むこおtが自分の「女性としての証」と信じ、妊娠中毒症他を乗り越えて、帝王切開で元気な赤ちゃんを産むことができました。その後、次女も無事に同じく帝王切開で出産。その時初めて、心に根を張っていた劣等感が溶けてゆくのを感じたのです。

幼い頃から歌が大好きだった私は、入退院を繰り返しながら声楽の勉強を続けていました。大学卒業後も働きながら声楽家への道を歩み、結婚、出産を経て娘2人を育てながら演奏活動に精力を注いできました。そして41歳の時、ソ連公演に参加、55歳で念願のCDを出すこともできました。これまでの公演活動は2,000回以上になります。

現在地元神奈川県相模原市で合唱の指導を幾つかやっていますが、その中の一つに「歌う出産」の指導があります。これは出産の際にいきむ代わりに歌を歌い、よりリラックスした状態でお産を臨める新しい出産の方法です。ラマーズ法を取り入れている助産院の院長のお話がきっかけけでした。そこの助産院に通う妊婦は臨月まで歌を歌うことで、腹式呼吸を身につけて下半身の筋力を鍛えます。胎児は妊娠9週目から耳が聞こえるので、母親が産む時に歌った歌はその子の一生の宝物になるのです。そして新しい生命の誕生は、まわりの私たたに大きな感動を与えてくれます。

冒頭の「蜥蜴」が釘を抜かれたように、私から自分の一部と、お言える糖尿病を抜いたらどのような生き方をするのだろうと考えることがあります。世界中を旅行したり、イタリアに音楽留学したり、外国での定期的な演奏活動などをやりたいことは山ほどありますが、叶いませんでした。今振り返るとそれで良かったと思うのです。極端に限られた条件の中で、目の前にある出来る事を一生懸命やる中で今日に至りました。

私はこれまでどのような時も自暴自棄になったり、薬を飲むことを放棄したことはありません。それは、私の側に何時も温かく見守ってくれる両親や、優しく励ましくれる友人たちの存在があったからです。

私は昭和14年満州で生まれました。母は戦後、幼い私と弟を連れて、日本引き揚げてきました。死屍累々の道を逃げ回る中で、私たちを守ってくれr母の姿をいつまでも覚えています。そのすさましい時代を生き抜いた体験と母の優しさが、私の行動の原点のような気がします。

インスリン注射をやり始めて50余年、沢山の方々のお陰でここまで来ました。歌うことで多くの方々にお返しできるように、これからも努力研鑽を重ねていきたいと思っています。 (ばば・ひろこ=声楽家)

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2009年2月12日 (木)

コンサドーレ札幌のエンブレムの由来

Cj_cs_505北海道で数少ないプロスポーツの中でサッカーのコンサドーレ札幌は1部と2部を行ったり来たりしています。

昨シーズンは2回目の1部昇格を果たしたものの成績が振るわず不名誉な最下位。たった1年で2部に逆戻りです。

監督も三浦さんから石崎さんにバトンタッチ、選手もエースのダビィが抜け、今年は全員一丸で巻き返しを図る事になります。

ところで、コンサドーレには守り神と言おうか看板と言おうか、「エンブレム」が有ります。図案は上記のように出来ていますがその由来を示しますと。

北海道に生息する「シマフクロウ」を象徴的に図案化しています。頂点に羽ばたく翼を持つシマフクロウを頂い盾型の中に、11個の星は結束したイレブン、勝利を見据える眼光は闘志を表し、ブリザードを表す白ストライブは攻撃性を配し、それらがホームタウンを意味するリボンの円孤に根ざすデザインになっています。

中々深い意味があるようです。今年は2部に落ちて再スタートです。新監督の石崎さんは1年で1部に戻る事を目標にすると強い決意を表明しています。数少ない北海道のプロスポーツ、プロ野球日本ハム、バスケットのレラカムイと共に道産子魂を見せて欲しいものです.

我々サポーターも力一杯応援しましょう。

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2009年2月11日 (水)

貫禄充分

私は国会の予算委員会のテレビ中継をよく見ます。一方通行の代表質問と違い予算委員会は閣僚と一人の質問者の一問一答です。

質問する方は自分や党の持論を主張するだけでなく、相手(閣僚)本音を引き出す絶好の機会です。丁々発止の論戦は迫力満点、下手な芝居を見るより面白いです。

しかし、与党の質問は専ら政府閣僚の提灯持ちで時間稼ぎ、面白くも可笑しくも有りません。ひたすら守りに徹する事に終始、総理大臣初め各閣僚も安心してノンビリムード、中には居眠りをしている人もいったりして緊張感が有りません。

見せ場は野党との論戦ですが、野党の連中は誰が立っても選りすぐりの論客揃い、何とかはぐらかしたり、誤魔化したりして逃げを打ちたい閣僚にとって針のムシロに座っていて心境でしょう。

数ある野党の論客の中、私が面白いと思う人は次の人々です。

民主党 石井一

Toben現在は 民主党のご意見番のような存在ですが元は自民党で海部内閣では国土庁長官を務めた猛者です。

80kgの体重で強面の面構え、一寸したヤクザの親分も真っ青です。さしもの自民党の連中もひと睨みで震え上がります。委員会では創価学会と公明党と政経一体振りをしつこく取り上げ、公明党議員から嫌われています。

民主党 渡辺恒三

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次は民主党の黄門様事渡辺恒三さん。渡辺さんも元自民党で自治大臣や国体委員長もやっていますが新進党などを経て現在は民主党でやはりご意見番的存在です。アクの強い会津訛りが愛嬌です。

9日の予算委員会で民主党の質問者に立っていましたが、麻生総理に対し「貴方は人柄も良いし、好きな人です。しかし、総理大臣にはなるべきでなかった。この事は自民党のみんなも同じ考えだろう」と一発噛まし、先制攻撃。自民党からヤジが起きれば「黙って聞け!!。靜かにしていれば次の選挙でお前達を当選させるようにしてやる!!」と怒鳴りつけ黙らせます。黄門様まだまだ健在です。

無所属 田中真紀子

467pxmakiko_tanaka_in_hawaii_croppe所属は無所属ですが、会派は民主党と同じです。従って民主党の代表として時々質問に立ちます。

真紀子さんは小泉総理の生みの親、その小泉内閣で外務大臣になりましたが、途中で首になってそれ以来自民党と決別、現在は小沢民主党と近く、仲の良い関係を保っています。

質問に立てば自民党への恨み辛みが出てきて辛辣です。弁舌は父親譲りで凄く上手です。多少じゃじゃ馬のキライは有りますが、思わず聞き入ってしまいます。

3人とも共通しているのは貫禄充分で凄みがある事です。しかし、大事な予算委員会の論議に関係のない事を話し過ぎ、多少顰蹙を買っている事も目立ちます。しかし、今の国会議員の中では彼らは貴重な存在です。質問に立つだけで回りがピリピリします。面白いと言っては失礼ですがまだまだ国会で頑張ってもらいたい先生達です。これからも楽しみにしています。

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2009年2月10日 (火)

クラーク

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クラークは札幌で一番有名な外国人かも知れません。

ウイリアム・スミス・クラークは1876年(明治9年)札幌農学校(今の北大)の初代教頭として米マサチューセッツ農科大学の学長だったのですが、1年間の休暇を取り札幌に迎えられたのです。

札幌に滞在したのは僅か8ヶ月ですが、学校、付属農園の管理、運営など教育体制の確立に努力し、生徒に対して、農学専門家の養成だけでなく、教養科目も取り入れ、精神教育としての練兵も設けて鍛錬した。

学生達に常に「ビー・ジェントルマン」で示される全人教育を教え、別離に際して学生達に残したと言われる「ボーイズ・ビー・アンビシャス」(少年よ大志を抱け)は余りにも有名です。この言葉は現在の北広島の島松停車場に送ってきた学生に対して話されたと伝えられています。

更にキリスト教精神は札幌農学校出身者を通して受け継がれてゆきました。

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2009年2月 9日 (月)

今頃なんだ!!麻生太郎の資質

29housin麻生太郎総理の言動が問題視されています。

元々この人は一言多く失言癖のある人物、自由にしていたら何を言い出すか分からない側近泣かせの問題児です。

これまでも失言、放言のオンパレード、その度に取り消したり、謝ったり何度も繰り返しています。最近は流石に懲りて成る可く外では喋らせないようブレーキを掛けているようです。

しかし、先週の国会の予算委員会でとんでもない事を喋ってしましました。

今問題になっている「かんぽの宿」に関して話が郵政民営化の見直しを言い出しました。郵政民営化事態の見直しは内容がどうするのか、果たしてどの程度出来るのかは分かりません。当時の幹事長 武部さん等が怒っていますが、この問題はこれから論議出来るのか、出来ないのか注目にあたいすると思いますが問題はその時麻生総理は

「そもそも私は郵政民営化に反対だった!!」と言ってしまったのです。

今から4年前、当時の小泉ワンマン総理の小泉純一郎の悲願である郵政民営化に対して自民党内部から大量の造反組が出て、大騒ぎを起こしました。その時私達国民は造反者に対して久しぶりに喝采を博したものです。造反組は途中で日和る事なく、最後まで徹底的に態度を変えず国会の採決に反対票を入れました。これに血迷った小泉総理は何と衆議院を解散させてしまいました。

造反組は揃って自民党を除名され、選挙では刺客や九の一を送られ大変な選挙になりました。この選挙で小泉総理の賭は大当たりで自民党の大勝ちを収め、造反組は頑張って当選した人、落選した人、悲喜こもごもでした。造反者はそれぞれ相当な苦境に陥りました。

当選した人は早々と新しい党を結成して自民党と決別した組と、ほとぼりが覚めた頃に復党した人それぞれの運命を辿っていますが、野田聖子さんのようにちゃっかり大臣になった人もいたりして政治家の生き様は一寸理解できない部分があります。

しかし、兎も角、郵政民営化に反対する議員は自分の信念に基づき正直に態度を表明し思いを貫いたことです。その点に付いては天晴れと思います。尊敬に値します。

ところが、当時総務大臣だった麻生太郎総理は今になって「実はあの時私も郵政民営化には反対だった!!」と言ってしまったのです。

当時の小泉総理は閣僚全員から賛成の署名を取りました。その時、麻生さんは内心は兎も角、賛成の署名をしています。国会の採決にも当然堂々と賛成票を入れています。その後の選挙での演説でも公然と造反者を批判しています。

それが今になって「実は私も民営化に反対だった!!」 それはないよ!!。フーテンの寅さんのセリフではないが「それを言っちゃーオシマイヨ!!」国民に嘘を言って騙ました事になります。造反者は何と思うだろう?。

政治家の思うこと、やることは我々の理解の出来ない事が多いです。麻生さんがたとえその時どう思っていても「実は反対だった!!」こんな事は口が裂けても言うべきでは有りません。生きている中は絶対に口をつぐんで墓場まで持って行くべきです。

こんな最低の常識を何の疑問も持たないでベラベラ話してしまう麻生太郎総理大臣の資質を疑います。ガッカリです。史上最低の総理大臣です。

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2009年2月 8日 (日)

ビオール

NHKFMの「バロックの森」でビオールの演奏を聴きました。ビオールは古楽器の一つで弦楽器ですが、現在ではほとんど廃れてしまい当時の楽器は存在していないと思います。

しかし、バロック時代に作られた曲は沢山残っていて、それらの曲を演奏するために復刻したものと思います。

演奏していたのは古楽器の研究と演奏の第一人者ヴェイラント・クイケンともう一人の人でした。(名前は聞きそびれました)

Violin1 ビオールは弦楽器ですが現在のヴァイオリンよりチェロに近い楽器のようです。従って肩に乗せて弾くのではなく、足に挟んで弓で擦る弾き方でビオラだ・ガンバのように弾くようです。

クイケン兄弟は此のように古い時代の楽器を掘り起こし、ルネッサンス時代やバロック時代に使われていた曲に光を当てる為努力しています。

クイケン3兄弟を中心に「クイケン四重奏」を作ったり「ラ・プテイット・バンド」を結成しバロック時代の音楽を演奏したりして日本でもしばしば来てコンサートを開いています。クイケン兄弟は古い時代の音楽を明日に伝える伝道者、貴重な演奏家です。

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2009年2月 7日 (土)

ロドリーゴ

Cdome_ph 今年はスペインの作曲家ロドリーゴの没後10年目になるそうです。

ホワキン・ロドリーゴは1901年生まれの作曲家ですが、多くの曲を残していますが特にギターの曲に名曲が多いです。

ギター曲では何と言っても「アランフェス協奏曲」が一番有名ですが本人は熟練したピアニストでしたがギターは全く弾けなかったそうです。

彼は幼児期(3才)でジフテリアに罹り失明したそうです。それでいながら8才からピアノとヴェイオリンを学び、パリで作曲の勉強して数々の曲を作っています。

管弦楽曲、ピアノ曲、合唱曲、ギターの独奏曲等が有りますが、ギター独奏曲では「ファンダンゴ」「バッサカリア」「サバテアード」がコンサートで良く演奏されます。

私は昨年福田進一さんと札響の演奏で「アランフェス協奏曲」をkitaraで聴きました。素晴らしかったです。

今年は没後10年と言う事でコンサートやCD発売で頻繁に聞かれそうです。楽しみです。

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2009年2月 6日 (金)

さっぽろ雪祭り

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第60回目のさっぽろ雪祭りが始まりました。私は昨日初日の2月5日に大通り会場と近くのつどーむ会場を少しの時間回って写真を撮ってきました。

雪祭りは戦後のまだ札幌の街が立ち直らない頃の昭和25年中学生が中心に僅か6基の雪像で始まったと聞いています。

会場の大通りは明治の開拓時代判官佐賀藩士 島義勇 の思い切った街造り構想が下敷きになって出来ています。島義勇は結局第2代長官 東久世と意見が合わず早々に帰国していますが、此の大通り公園も災害に備えて作った英断のお陰です。これだけ広く長い公園は日本でも珍しいです。季節を通して何らかのイベントが開催されています。

さて60回目を数えた雪祭りですが、今年は例年にないほど雪が少ないです。これだけの雪像を作るには相当の苦労があったと思います。

どれを見ても立派です。流石手慣れたものと感心して廻ってきました。

近くのつどーむ会場は期間中一般の車は入れません。シャトルバスとタクシーなど営業だけです。外は子供達の滑り台が中心で大勢の子供達が順番を待って並んでいました。

つどーむの中でも様々なイベントが行われていて、こう言う形の雪祭りの行事は初めてだと思います。つどーむのだからこそ出来る試みです。

昨日は午前中生憎の雪模様、天気の回復と共に益々大勢の人が押しかけると思います。 

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2009年2月 5日 (木)

指揮棒の話

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41v8fxjg9fl__ss500_オーケストラや合唱で指揮者は概ね指揮棒を使います。

今日はその指揮棒に付いて書いてみます。

指揮棒(タクト)はバロック時代には単に大勢の演奏者のリズムを合わせる為に必要としていたのです。指揮者は長い杖を持ち、指揮者は床に打ち付けて音を出しリズムを指示していました。

バロック時代の指揮者バティスト・リュリと言う人は杖で床を打ち付けていた時、誤って自分の足を打ってしまし、それが基で命を落としています。

やがて指揮者はそれに止まらず、演奏者に指揮者の意図するところを演奏者に伝えるため様々な工夫を凝らし態度で表します。

指揮棒もその手段の一つで、中には指揮棒を全く持たない人も居ります。又、指揮棒も極端に長いのを使う人も普通の長さ(短め)の人と色々です。

指揮棒を使わない人はアンノンクールワレリー・ゲルギレフ、ピエール・ブーレーズ、小沢征爾等の人です。

長い指揮棒派はピエールモントゥー、ブルーノ・ワルター、ユリ・アロノヴィッチ、マキシム・ショスタコーヴィッチ等の名前が上がります。

佐渡 裕は曲目によって使ったり使わなかったりしているようです。

私は短めの指揮棒を使ってくれた方が好きです。見た目には格好良いです。

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2009年2月 4日 (水)

恥ずかしい!!

「日本の場合漢字さえ間違いなく読めれば誰でも大臣は務まる!!」こんな冗談がよく我々庶民の中で話題に上る事が有ります。

まさか、そんな事はないと思いますが・・・。

ところが最近麻生太郎総理大臣始め閣僚の漢字の読み間違いが目立ちます。総理大臣や閣僚の演説の原稿や答弁書は総理や閣僚に代わって役人が書いた作文を、総理や閣僚がさも、自分の意見のような顔をして読むだけです。従って漢字さえ読めれば・・・になるのだと思います。

それも感情のこもらない、棒読みなので一層その思いは深いです。書いた役人の願いは「せめて読む漢字くらいは間違いなく正確に読んでヨ!!」

ところが麻生総理を筆頭に各閣僚そんな願いも上の空、どこ吹く風、読み飛ばし、読み間違いのオンパレード ハチャメチャです。上も上なら下も下!!。

「どうせ聞いている野党の議員も半分居眠り半分!!」「いい加減に読んでも分かる筈はない!!」「まして無知な一般国民なんて・・・」多分こんな事なんでしょう。

閣僚の中では何と言ってもNOワンは中川財務大臣、そんなに長くない演説中に間違えたヶ所は、なんと26ヶ所、財政担当なのに、数字の読み間違いも数多くあり、「歳入」と「歳出」を逆に読み違える丁寧な?出来事も・・・絶対あってはならない事も起きています。

「渦中」(かちゅう)を(うずちゅう)なんて信じられない読み方をして、あれで良く大臣が務まるものと呆れさせたのは愛嬌なのか・・・。馬鹿丸出しです。

閣僚を束ねる役目の総大将麻生太郎総理大臣も負けていません。

「措置」(そち)→しょち

「我が国」(わがくに)→わがこく

「踏襲」(とうしゅう)→ふしゅう

「前場」(ぜんば)→まえば

「詳細」(しょうさい)→ようさい

「頻繁」(ひんぱん)→はんざつ

「未曾有」(みぞう)→みぞゆう

「有無」(うむ)→ゆうむ

→の後は麻生総理が実際に読んだ言葉です。確かに日本語は難しいと思います。しかし、仮にも一国の総理大臣、難しい漢字は書いた役人に聞いて予め振り仮名を打つなど準備をして欲しいと思います。本当にいい加減にしなさい!!。

かく言う私も他人の事を言えた義理ではないです。毎日のブログでも間違いだらけです。反省しています。しかし、私の場合、幸い一国の命運を左右する地位についていません。その分罪は軽いです。

人一倍高い歳費を税金から勝手に分取り、うっかり間違えたら国の運命を決めかねない総理や閣僚、もう少ししっかりしてもらいたいものです!!。善良な国民として恥ずかしいです。

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2009年2月 3日 (火)

節分

Setsubun今日2月3日は節分の日です。節分は季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前の日の事です。

従って節分も正確には年に4回有ります。特に2月だけを節分と言うのは長い寒さから少しだけ春に近づいた気分が開放的になるからかも知れません。

2月の節分には豆を蒔く風習が今でも各地に残っているようです。此は平安時代頃から宮中で行われていた年中行事からの名残りからです。各家庭でも行われていたようですが、最近では段々廃れてきているようです。

代わって海苔巻き寿司を恵方の方角に向かって食べると縁起が良いと言う事が流行っているようです。

此のルーツは江戸時代から明治時代にかけて大・船場の商人による商売繁盛の祈願事から始まったと言う説もあります。

これらの風趣は戦後廃れましたが、1970年の始め頃から大阪の海苔問屋が冬期間、商売の端境期に販売の宣伝に始めたのがきっかけだそうです。こっちの方も大阪が仕掛け人のようです。流石大阪の人は逞しいです。商売熱心です。それが今は全国に広がっているようです。

恵方もその年によって方角が違うそうです。今年の恵方は丙(ひのえ)だそうです。・・・と言われても私はどっちが丙か分かりません。分かろうとも思いません。大体わざわざ縁起担ぎに海苔巻きは食べません。豆も蒔きません。

明日は2月4日立春です。春までもう少し、待ち遠しいです。

 

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2009年2月 2日 (月)

2月

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この前正月を迎えたと思ったらあっという間に1月は終わり2月に入りました。早いです。

月日の経つのは今も昔も変わりません。同じ時間で経過します。しかし、私の感じでは年々歳々時の経つのが早く感じられます。多分年のせい!!。

2月は他の月より28日(閏年は29日)短いです。どうしてなのでしょう?。

調べてみました。紀元前8年その時の権力者アウグストゥスが8月の日数を30日から31日に変更して、その為不足した日数を単純に2月から差し引いた為です。その頃のローマ暦では、年初は1月でなく3月であった為2月が年末でした。

2月は「如月」とも言います。「如月」事態は昔中国で2月の事の異名だったので特に意味は有りません。

しかし、日本の「きさらぎ」を日本で漢字で宛てた文字は諸説があるようです。

「更衣着」 2月はまだ寒さが残っているので衣を着る月であるため。

「草木張月」 草木の芽が張り出す月である事から。

「来更来」 前年の旧暦8月に雁が来て更に燕が来る頃から。

「気更来」 陽気が更に来る月から。

等々です。他に梅見月、木目月もあります。

何れにしても春に近づいて来たような表現です。北海道はまだまだ寒さはこれからと言えますが、プロ野球のキャンプも始まりました。マラソンも昨日が別府大分毎日マラソン、更に東京青梅マラソンもあります。季節的には確実に春に近いのです。気分だけでも明るく過ごしたいものです。

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2009年2月 1日 (日)

札幌に縁の作家

札幌市に縁の有る作家は少なくありません。私の読書は多い方だと思いますが、最近の作家、若い人はほとんど分かりません。

どんな人が居るのか上げてみます。

180pxarishima_takeo有島武郎

正確には東京の生まれですから札幌出身とは言えませんが、学習院中等科を卒業後札幌農学校に入学し、新渡戸稲造に学んでいます。農学校卒業後軍隊に入り、除隊後アメリカに渡り、ハーバード大学に学んでいますので相当勉強好きの人だったようです。小説は「星座」「或る女」「生まれいずる悩み」等があります。

Yasuko 原田康子

原田康子も釧路生まれですから、此方も正確には札幌出身とは言えないと思います。しかし、大ヒットの「挽歌」を発表後札幌に移住現在も札幌に住んでいます。原田さんの作品は「サビタの記憶」「病める丘」など沢山ありますが一番新しい作品は「聖母の鏡」です。

Otase1 船山馨

船山さんは真狩の生まれですが、小学校の時に札幌に移り住んでいます。明治大学を中退後、北海タイムス(北海道新聞に統合)に就職、東京で作家活動に入っています。「石狩平野」「お登世」等開拓当時の札幌を舞台にした作品が多いです。

4kaimegenitiro1 高橋揆一郎

高橋さんは歌志内の出身で「伸予」北海道出身で始めて芥川賞を受賞しています。ご自身も住友石炭鉱業に就職しています。そんな経験から「友子」等炭砿に関係した作品も残しています。

他に「もめん随筆」「石狩少女」の森田たま、「火山灰地」「林檎園日記」の久保栄

「生活の探求」の島木健作、「「紺碧の艦隊」「旭日の艦隊」の荒巻義雄、「出刃」「光る女」の小檜山博、「マドンナのごとく」「熟れてゆく夏」の藤堂志津子

「夢の壁」「尾崎翠の感覚世界」の加藤幸子、「もうほほづえはつかない」の見延典子、「失楽園」「リラ冷えの街」の渡辺淳一、他に「砧をうつ女」「サハリンへの旅」の李恢成、「結婚をしないかもしれない症状群」「海猫」の谷村志穂、「ドナウよ静かに流れよ」の大崎義生「探偵はバーにいるの東直巳、等々随分多くの作家がいます。

北海道全部に広げると当然もっともっと数は多くなります。

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