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2009年4月30日 (木)

ワルツの話

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ワルツ又は円舞曲の歴史は古く13世紀頃の西ドイツや南フランスまで遡ります。

その頃チロル地方やバイエルン地方の農民が踊っていた舞曲(ヴェツラー)が基になっています。ヴェツラーは男女が体を接して共に回って踊るため一時期禁止になったこともあります。

基本的には三拍子で舞曲では19世紀前半のヨーゼフ・ランナーやヨハン・シュトラウスが演奏会用の作品を沢山書いています。

又ロマン派の作曲者もウエーバーの「舞踏への勧誘」ベルリオーズの「幻想交響曲」の第2楽章の「舞踏会」なんかも有名です。更にショパンも多くのワルツの曲を残しています。

踊りが基になって発達した音楽だけに聴いていてウキウキするような楽しい音楽が多いです。

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2009年4月29日 (水)

カンツォーネ

カンツォーネはイタリア語では単に歌を指す単語ですが、日本では19世紀から20世紀初頭に書かれたイタリアの大衆歌曲特にナポリものをそう呼んでいます。

この他1960年代から1970年で流行したイタリアポップスもカンツォーネと呼んでします。

Sanremo0006_2  カンツォーネで思い出されるのは「サンレモ音楽祭」ですが、1951年からイタリアのサンレモで始まりました。

此の音楽祭で数々の曲が生まれ世に出ていますが、「ボォラーレ」「チャオ・チャオ・バンビーナ」「アル・ディ・ラ」などヒット曲が多数があります。

又歌手ではジリオラ・チンクェッテイ ボビー・ソロ ウィルマ・ゴイク等が外国人ではコニーフランシス ポールアンカ ディオンヌ・ワーウィッツク ヤードバーズ等の名前も聞こえます。

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2009年4月28日 (火)

城ヶ島の雨

城ヶ島の雨は詩人北原白秋の詩ですが白秋は大正2年(1913年)に作っています。

当時白秋は三浦岬に住んでいて、その直ぐ沖合にある小さい島城ヶ島を眺めていてこの詩を書いたと思います。

この詩に大勢の人が曲を付けていますが、私達が普段聴いたり、唱っている有名な曲は当時一流の歌い手でもあった梁田 貞(やなだ てい)と言う人です。他に山田耕筰の作った曲もありますが私には聞き慣れたと言う事もあると思いますが、梁田 貞の曲の方が断然好きです。此の歌を最初に歌ったのは札幌出身の奥田良三さんでした。

因みに白秋の詩を以下に書いてみます。

雨はふるふる 城ヶ島の磯に
利休鼠の 雨がふる

雨は真珠か 夜明けの霧か
それともわたしの 忍び泣き

舟はゆくゆく 通り矢のはなを
濡れて帆上げた ぬしの舟

ええ 舟は櫓でやる
櫓は唄でやる
唄は船頭さんの 心意気

雨はふるふる 日はうす曇る
舟はゆくゆく 帆がかすむ 

利休鼠とは雨の色の事を言っていますが、厳密には灰色とも違う色だそうです。私は城ヶ島には神奈川在住時一度だけ訪れた事が有ります。

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2009年4月27日 (月)

PMFチケット発売

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今年のPMF音楽祭のプログラムが決まり4月18日から早くもチケットの発売が始まりました。

7月4日(土曜日)芸術の森で開会式、以下最終7/17日まで約2週間、メーン会場のkitaraホールを始め北海道の各都市、東京や大阪でも開催されます。

7月4日は20周年の記念の開会式になります。PMFは1990年バースタインの提唱で始まりました。バーンスタインはその1年後病気でお亡くなりになりますが、世界の偉大な指導者が次々引き継ぎ、今日まで毎年開催されています。

此のPMFの趣旨は若い世代の音楽家をこの期間一同に集め教育するための大イベントです。我々は未来の音楽家の卵達が期間中次第に成長する様を目の当たりにする事が出来ますし、ウインフィール等指導者達の演奏にも接する事も出来ますし、札響他の演奏会も聞く事が出来ます。

PMF20年間に卒業した人数は約2000人、全国の76ヶ所の国からの若者が学び世界の各地で活躍しています。

今年は指揮者のクリストフ・エッシェンバッハ、マイケル・テェルソン・トーマスもやってきます。楽しみの多い音楽祭になると思います。今からワクワクしています。

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2009年4月26日 (日)

椎間板ヘルニア

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昨年暮れの寒くなった頃、腰に痛みを感じるようになり、歩くと尚一層痛みが増すようになりました。

掛かり付けの内科で湿布薬を貰って張ってもあまり効果がなく、5月入って仕事が終わったら病院に行ってみようと考えていました。

しかし、痛みは段々酷くなり遂に我慢も限界に達し仕事休みの4月20日思い切って整形外科に行ってみました。

病院ではレントゲン写真をくれましたが、別段骨が曲がってなどなく、考えられる原因は椎間板の異常も・・・。次の休み24日MRI検査をする事になりました。

結果はやはり、椎間板の1ヶ所に少し突出した事が分かりました。

人間以外の動物では背椎を重力に垂直にしているのに対し、人間は二足歩行であるために背椎は重量と平行方向となる。この為、立位では椎間板には多くの負荷が掛かる事になります。

統計によれば、60才以上の人の三分の一以上の人が椎間板に異常がみられるそうです。私もご多分にもれず、その三分に一の仲間入りに入ったようです。

症状はそれほど進んではいないようで、リハビリを二ヶ月位続け様子をみるとの事です。24日は即、リハビリを受けました。10分間の電気治療、その後、足の牽引をこれ又10分間位しました。

このリハビリを2ヶ月間ほど週に2回~3回位続けてみましょう。・・・とのお話でした。

言ってみれば老人病です。仕方がないです。取りあえず、入院とか手術とかの話では有りませんが、気楽に時間を掛けて治療するそうです。腰の痛みはそれほど酷くなく我慢は出来ますが、5月に入れば趣味のパークゴルフも持っています。

無理をしない程度に体を動かし、リハビリにも通って見るつもりです。

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2009年4月25日 (土)

丈夫で長持ち

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4月21日岩瀬投手が此まで中日×阪神戦で鈴木孝政が持っていた登板回数、球団記録の586回を塗り替え球団新記録を達成しました。

岩瀬投手は1999年入団していますので今年で10年目になります。

中日の押さえを任され12球団一番のストッパーです。昨年まで上げたセーブの数は193個まもなく200個の大台に乗せる事は間違いないです。

岩瀬投手の役割は試合の最終版8回か9回に出てきて相手の攻撃を封じチームの勝利を確実化す重要な役目です。

先発、中継ぎ投手の頑張りで最後の押さえ投手にリレーしてきて後は岩瀬に任せると言う大事な役回りです。此までリードしてきて、もし最後の岩瀬が打ち込まれたら先発投手の勝ちがなくなりチームの天国から地獄に・・・と言うはめにも・・・

責任の大きい仕事です。岩瀬投手はその大役に絶える精神と丈夫な体力が持っています。その上当然相手の猛打者を押さえる技術を持っています。

4月21日の対阪神戦では朝倉投手が今期2勝目、通算で50勝を上げました。朝倉投手つい最近2人目のお子さんが誕生したばかりです。

中日ドラゴンズは勝ったり負けたりの繰り返しで現在5割前後、此からの奮起を期待しましょう。又、岩瀬投手の一層の頑張りを応援します。

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2009年4月24日 (金)

ほくでんファミリーコンサート

Img019恒例になった「第450回ほくでんファミリーコンサート」が4/22日kitaraホールで行われました。

これはハガキによる申し込みの抽選の方法ですが、最近は申し込み数が極端に多いらしく、私のところはほとんど当りません。家内も諦めてハガキも出していないようです。

ところが先日突然私宛に招待券が送られて来ました。家内も申し込みハガキを出していないのにしきりに不思議だと言っていましたが、真相は、大分前に私のパソコンの生徒でくじ運が抜群に強い女性の事を此のブログで紹介した事が有りますが、その彼女が私の名前で申し込んでくれていたそうです。

彼女のくじ運の霊感あらたかで見事に私のハガキが当選したとと言う訳です。しかし、今人の当人は今回は外れの様でした。申し訳のないような気持ちでコンサートに行ってきました。

演奏は勿論札響、当日のプログラムは

歌劇「ドン・ジョバンニ」序曲 モーツアルト

交響曲第92番「オックスフォード」 ハイドン

交響曲第3番「英雄」 ベートーヴェン

ハイドンは交響曲の父と言われる位数多くの交響曲を作っています。100曲以上の作品を残していますがその第92番目の曲です。1791年ハイドンはオックスフォード大学から名誉博士号を贈られたそうでその授与式で自ら指揮をしたことから此の名前が付いています。

ベートーヴェンはハイドンの交響曲を引き継ぎ完成させたと言われています。ベートーヴェンは此の3番「英雄を最初ナポレオンに捧げようとして書いたと言われています。当初の楽譜には「ポナバルト」と書かれてありました。ナポレオンが連戦連勝で有頂天になり、自ら皇帝を名乗った事に腹を立てたベートーヴェンは此を消し去り「シンフォニー・エロイカ」(ある英雄の思いでのためにー)と書き加えたと言われています。

曲は第2楽章の「葬送行進曲」のような厳粛な曲想はその当時持病の難聴による苦悩が、かいま見えます。しかし、最後のクライマックスではそれらの苦悩を乗り越えて生きようとする力強さが曲を盛り上げ見事な傑作です。

ハイドンの後に聴くベートーヴェンは曲の幅と厚みが加わり、交響曲の重みが一層増し、交響曲としての完成度が強く感じられます。

指揮の梅田俊明さんは2006年大ブームになった「のだめカンタービレ」の指揮指導及び演奏で参加し注目を集めた人ですが、日本だけでなく世界各地で活動を広げている若手指揮者の一人です。振りが大きく明快な指揮振りは好感が持てました。

思いがけず至福の機会を与えてくれた信子さんに感謝・感謝です。此からも運の強さを発揮して下さい。

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2009年4月23日 (木)

将棋の先手、後手

将棋の対戦成績で後手番の勝率が先手番を上回ったそうです。

勿論プロ棋士の対戦です。日本将棋連盟の公式戦の記録を毎年発表していますが記録を取り始めて初めての事だそうです。

此までの記録では先手番の方が良いと言ってもほんの少しの差で平均で先手が5割2分5厘、後手番が4割7分5厘1,000回戦って525対475。私達素人からみるとほとんど差がないに等しいと言って良いです。

しかし、プロ棋士に取ってはこの差が莫大に大きいらしく、誰しも振り駒で先手番が出るのと喜び、先手の徳を生かし、主導権を取って戦うらしいです。

しかし、最近は後手番の研究が盛んだそうで、「一手損角換わり」「「角交換振り飛車」「ゴキゲン中飛車」等、後手番でも先手番でも互角に戦える先方が開発?されてきているようです。

因みに昨年度の成績は後手番1,176勝対先手番1,164勝で後手番の5割3厘対先手番4割9分7厘。ほとんど差がない成績です。

私も神奈川在住時代には随分将棋も指しましたが、札幌に来てからはほとんど指していません。それでも免状だけは一応二段を持っていますから、プロ同士のテレビを見て楽しむ事が出来ます。そんな経験から言って私達の場合、先手も後手も全く変わりは有りませんでした。強い方が勝ち、弱い方が負けるパターンと、その時の運が全てでした。

此からもせいぜいテレビで息詰まるプロの将棋を観戦して楽しみたいと思います。

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2009年4月22日 (水)

パークゴルフシーズン開幕

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今年もパークゴルフのシーズン開幕です。

パークゴルフの歴史は昭和58年(1983年)今から26年前十勝の幕別町で役場の教育部長だった前原さんの考案によって誕生したものです。

前原さん達はゴルフやゲートボールを参考に試行錯誤の上公園の片隅に穴を掘ってホールを作り何とかパークゴルフの原型を作り上げました。彼らにとってラッキーだった事は地元に新田ベニヤと言う会社が有った事です。クラブの製作を新田ベニヤが何回も作り直し、やっとそれらしい形が出来上がりました。

従ってパークゴルフのネーミングは「公園のゴルフ」から来ています。それが20年過ぎた現在では北海道に600ヶ所のコースが完成、本州はおろか外国でもドンドンコースが増え続けています。

パークゴルフの利点は道具やコース料金に余り金が掛からず、芝生の上を歩き回るので至極健康に良く、男女やベテラン、初心者による差が余りなく誰でも楽しめるスポーツです。しかし、一番優れたところはやって面白いと言う事です。

私も4月21日今年度シーズンに入って2回目のパークを楽しんできました。所属している年金組合の大会でしたが少々仇寒く、時折小雨模様の生憎の空模様ながら男女100名位の人が集まりました。

今年も大いに楽しみたいと思っています。因みにパークゴルフを考案した前原さんは現在のパークゴルフ協会の会長をしています。

私がノーベル賞の選考委員を務めていたら文句なし前原さんを「ノーベル賞」を差し上げます。「スポーツ平和賞」 そんなのなかったケ!! 総理大臣だったら当然「国民栄誉賞」をもらってもらいます。或いは「内閣総理大臣杯」を出すとか・・・人気が上がること請け合いです。支持率アップ間違い無しです。

麻生さんは若いお姉ちゃんの名前は沢山知っているらしいが、前原さんの名前は知らないでしょう。こう言うのを勉強不足と言うのですヨ。パークゴルフを1渡北海道に来て体験してみると良いと思うヨ!!。

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2009年4月21日 (火)

「半七捕物帖」岡本綺堂

21f1dgyhbtl__sl500_aa140__2 岡本綺堂の小説「半七捕物帳」を読んだ。

岡本綺堂は明治5年の生まれ相当古い作家です。小説の他歌舞伎の台本も書いていた幅の広い作家です。

明治の生まれの人に珍しくアメリカを訪問したり、シャーロック・ホームズを読んで影響を受けたり、その当時の人にしては進んだ考えの人でした。

此の「半七捕物帳」もシャーロック・ホームズを日本版にしたらどうなるのか考えて書いたそうです。日本最初の岡っ引き捕り物を取り上げ半七親分を主役に書かれています。

「半七捕物帳」は全部で68編書いたそうですが、此の第1部では下記の14編が収められています。

お文の魂 石灯籠 勘平の死 湯屋の二階 お化け師匠 半鐘の怪 奥女中

帯取りの池 春の雪解け 広重と川獺 朝顔屋敷 弁天娘 山祝いの夜

以上ですが、岡本綺堂先生の文章、明治生まれの人にも関わらず、文章が少しも古くさくなく読みやいです。当時の江戸時代の背景が見えるようで楽しくスイスイ読み進めました。

半七親分、名探偵ですが人情家な人でもあります。、必ずしも犯人を挙げて手柄を立てるだけが目標でなく、その場面、場面に応じ、様々な解決法を取っていて、ほっとしたり、嬉しくったりします。

「半七捕り物帳」は映画や舞台で何回も上演されています。綺堂先生、古い時代の人ですが今読んでも新しい感覚の作家です。

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2009年4月20日 (月)

小さな大投手

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P48_2プロ野球が開幕して半月経ちました。オープン開始札幌ドームでいきなり楽天に3連敗と不安一杯の立ち上がり、球団も選手もファンもアレレ!!との感が有りました。相手の楽天を甘くみたつもりはなかったが・・・。

しかし、半月経って全球団と対戦が終了、単独トップに躍り出ました。流石です。打撃絶好調の金子、エース ダルビッシュの活躍、ニュー押さえの武田投手の好投等好材料が揃ったようです。

4月18日今年入団したばかりの小さな大投手が好投しルーキーとして初の勝ち投手になりました。谷元 圭介 三重県出身の24才です。注目されるのは身長166cmの全球団で一番小さな投手です。

野球の選手はどなたも見上げるほどの大きい選手揃いです。ダルビッシュのように最近は2m近い選手も珍しく有りません。野球は体力が優れたほうが断然有利です。又そんな選手がほとんどです。

谷元選手の166cmは私と同じくらいの身長です。これは大男揃いのプロの中で一際目立ちます。しかし、球速、切れは一流です。本物です。

谷元 圭介投手、此からの日本ハムの優勝の鍵を握る投手陣の一人になるでしょう。大いに期待しましょう。

セントラルは? まあ今日はコメント無しです。

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2009年4月19日 (日)

時代小説「武士道日暦

51sr9egybel__ss500_平岩弓枝監修の時代小説「武士道日暦」を読んだ。

此の時代小説集は時代小説の元祖、大衆小説の父とも言われる長谷川 伸の門下生の集まりとも言える「新鷹会(しんようかい)と言う名称の勉強会に集うグループの人たちが発行している短編集です。

新鷹会はそのものは、昭和15年長谷川伸を中心にして、新しい文学の創造と開拓を目指した当時の新人だった山岡荘八、大林清、山手樹一郞、長谷川幸延等が結成した十五日会が始まりです。

その後会は新鷹会となり現在は約60名の会員及び準会員で構成されています。新鷹会に加盟している作家が此までに3回出版され今回の「武士道日暦」が4回目になります。

この本には

灯籠堂の僧-長谷川伸 義士の饅頭-村上元三 笊医者-山手樹一郞

闇の中の声-池波正太郎 連理返し-戸部新十郎 嘘-武田八州満

明治御家人綺談-野村俊雄 さんずん-神坂次郎 八寸の圭表-鳴海風 

仇討ちは雪の日に-二階堂玲太 遭難前夜-古賀宣子 

臥龍桜の里-小山啓子 うろこ-松岡弘一 太公望のおせん-平岩弓枝

以上14編の時代小説が収められていますが、それぞれ中々の力作で面白かったです。私は中でも「義士饅頭」「笊医者」が興味深く読みました。

因みに新鷹会が過去に出されている時代小説集は「侍たちの歳月」「大江戸の歳月」「武士道春秋」

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2009年4月18日 (土)

ご当地検定

所謂(いわゆる)ご当地検定が全国的に盛んなようです。東京、京都、大阪と全国的に年々広がりをみせているようです。

私達の北海道でも私が2月に受けた「札幌シティガイド」を始め「北海道学」「北海道観光マスター」「北海道フードマスター」パソコンでは「道産子検定」なんかも有ります。

札幌以外では小樽、函館、旭川、帯広なんかも初めているようです。合格率のそれぞれまちまちで札幌は概ね70%位が多いようですが旭川は60%でした。

帯広は此まで初級クラスの試験だけだったのが今年は上級者の試験を始めたそうです。その合格者の発表が先日新聞紙上に出ていましたが、何と合格者ゼロだそうです。つまり一人の合格者もいなかった・・・。驚きです。私の知る限り合格者ゼロなんて試験は聞いた事が有りません。

私の受けた「札幌シティガイド」の合格率は大体50%前後らしいです。結果発表は4月27日です。

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2009年4月17日 (金)

運命はやはり名曲

15日のFM放送で午後7時時からN響の第1645回定期公演の中継で生放送されました。

プログラムは

祝典序曲 ショスタコービッチ

チェロと管弦楽のための交響的協奏曲 プロコフィル

交響曲第5番「運命」 ベートーヴェン

チェロ-トルル・モルス 指揮エド・デ・ワールド

当日はN響ホールからの生放送。1部の祝典序曲、チェロ協奏曲に引き続き第2部はベートーヴェンの「運命」此の曲は余りにも有名ですが、コンサートで演奏される機会は余り多くないです。

「名物に旨いもの無し」と言う言葉が有りますが「名曲に外れなしです」ドボルザークの「新世界から」にしろ、此の「運命」にしろやはり名曲中の名曲絶対間違いのないホンマモノです。

この日のN響の「運命」はエド・デワールドさんはN響初出演だそうですが、N響のメンバーと呼吸もぴったり合い力強く見事な演奏を引き出していました。

「運命」はクラシック音楽中一番有名ですで人気の曲、それだけに誰もが知っていて当たり前の曲です。指揮者も演奏者も緊張する曲と聞いています。この日のN響、見事な演奏振りで感動しました。

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2009年4月16日 (木)

テンペスト

250pxbeethovenベートーヴェンのピアノソナタ第17番「テンペスト」は素晴らしい曲です。私の大好きな曲の一つです。

ベートーヴェンはピアノソナタを全部で32曲作曲していますが特に第8番「悲愴」第14番月光第23番「熱情」が有名ですが此の第17番「テンペスト」も良いです。

「テンペスト」題名の由来は弟子のシントラーに曲の解釈を尋ねられたベートーヴェンがシュェクスピアの「テンペスト」を読めと言ったからと伝えられています。真偽の事は定かではありませんが「テンペスト」とは嵐と言う意味です。

シェクスプアの戯曲と関係は兎も角、ベートーヴェンの「テンペスト」は特に第3楽章、軽快に繰り返すフレーズは嵐の前の予感のような感じも受けられない事もありません。

一度通して聞いてみて下さい。絶対好きになると思います。

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2009年4月15日 (水)

「花も知らずに」坪倉哲夫さんの想い出

Img018 パークゴルフの仲間だった坪倉哲夫さんが4月9日お亡くなりになりました。2月の千葉忠弘さんに続いての悲しい訃報です。

パークゴルフは最近は若い人の層にも広がりをみせているとは言え、まだまだ圧倒的に年配者中心のスポーツ。それだけに毎年仲間の誰かさんが倒れられたとか、病院に入院されたとか、お亡くなりになったと言う便りが聞こえて来るのですが、先の千葉さんにしろ、今回の坪倉さんにしろ特に親しくして頂いた先輩、哀しみもひとしおです。

坪倉さんは大正12年の生まれ、今年で満86才になられたそうです。お生まれは現在の北朝鮮の方だとお訊きしていました。ご両親の出身の山口県に引き揚げて来られ大学を卒業後、海軍に入られたそうです。仕事の事は詳しい事は分かりませんが大阪、東京、札幌と転勤、営業所の所長さんだったそうです。最後は札幌に落ち着き、そのまま居を構えたそうです。

私との付き合いは私が会社を定年退職してパークゴルフを始めて直ぐにお知り合いになりました。同じ同好会に所属していた関係で親しくなりました。

坪倉さんは元々ゴルフの経験が長い人だそうで、基本がしっかりしています。フォームが美しく凄く上手です。長年会社の指導者をしていた事もあって人物的にも素晴らしく、穏やかな人柄は誰からも好かれ、私はパークゴルフだけでなく色々な点でご指導を受けました。

坪倉さんは他の人を嬉しくさせる名人でもありました。私に対しても『貴方は素晴らしい人だ!!』 なんて尻(ケツ)の穴がこそばゆくなるような事を言って単細胞な私を良い気持ちにさせてくれました。

ある時、坪倉さんに相談を受けた事が有りました。私はその頃パソコンを初めていましたが、坪倉さんは若い頃は文学青年だったそうです。ご自分の若い頃の体験を基に私小説を書かれた事があったそうです。A4で20ページ位の文章ですが、それを清書してくれないかとの事でした。

何分、その頃はパソコンを始めたばかり、一旦はとてもとてもそんな自信は有りませんとお断りしましたが、出来は問わないとの再度の依頼に遂に引き受ける事になりました。原稿を読みますと大体以下のようなストーリーとなっていました。

主人公の土谷青年は彼が卒業した商業学校の1年後輩の笠原郁枝にラブレターを出す事から始まります。

その頃は軍国主義の真っ直中、男性が女性に思いを手紙に書いて出すのは相当勇気のある事だったでしょう。兎も角、彼女に対する思いは相手の女性に通じ、2人の文通は順調に交流を重ねたある日、土谷に召集令状が来て、海軍に出征する事になります。

彼女との手紙の交流は軍隊に入っても続きますが、ある日彼女の姉から彼女が病気で亡くなったことを知らされます。

此の話は坪倉さんが実際に経験された事に基づいて書かれています。坪倉さんは私と違い文学青年だっただけに美しい文章で切々と書かれています。題名を【花も知らずに】と付けられていました。私は感動して読みました。

坪倉さんには2人のお嬢さんがいます。坪倉さんはお嬢さん達に出来上がった此の私小説を見せたそうです。上の娘さんは簡単に『中々面白いヨ』と言ってくれたそうですが、下の娘さんは『今頃こんなものを書いて・・・お母さんが可哀相だ!!』と怒られたそうです。

しかし、実際の話では坪倉さんが結婚後何年かして、亡くなった彼女の墓参に出かける事になった時、奥さんは坪倉さんを快く送り出してくれたそうです。この奥さんの寛大な心に感謝しつつ此の私小説を私に清書する事を決意されたのでしょう。

人生とって出会いは何時でも喜びです。それが、たとえ一時(いっとき)

であっても、すれ違いであっても嬉しく楽しいものです。

しかし、別れは寂しいです。

まして、永遠(とわ)の別れは辛いです。悲しいです。

何時までもダンディでお洒落な坪倉哲夫さん、天国で千葉忠弘さんとパーク談義に花を咲かせている事でしょう。お二人とのお付き合いを懐かしく思い出しながら心からお二人のご冥福をお祈りいたします。

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2009年4月14日 (火)

札通はこび愛コンサート

Img017恒例の札通の「はこび愛コンサート」が4月12日kitaraホールで今年も行われました。今回は記念の10回目のコンサートだそうです。

演奏は札幌唯一のプロのオーケストラ札響、指揮者は正指揮者の高関健、今回のプログラムはフロンティア・スプリット。アメリカに関係する曲を選んだそうです。

第一部

市民のためのファンファーレ-(コープランド)

映画「荒野の七人」より-(バーンスタイン)

映画「シェーン」より-(ヤング)

映画「大いなる西武より」-(モロス)

バレエ音楽「ビリー・ザ・キッド」組曲-(コープランド)

第二部

交響曲第9番「新世界より」-(ドボルザーク)

第1部はオリンピックの開会式などでお馴染みのコープランドの市民のためのファンファーレを初めとする映画音楽等楽しい音楽でまとめ、第2部はドボルザークの「新世界より」ドボルザークはチェコの作曲家ですが、この曲はドボルザークが1892年から3年間ニューヨークのナショナル音楽院の院長に就任した時アメリカで作った曲です。黒人霊歌やインデアンの民謡の旋律が故郷ボヘミア地方の音楽に似ている事に共鳴して作られたと言われています。

私達の座席は家内が大好きだと言う舞台の真上、指揮者の高関さんと直接目が合うの位置です。指揮者の表情も演奏者の仕草がはっきり見える正に最高の座席です。

第2部「新世界から」はお馴染みですが名曲中の名曲です。何回聞いても素晴らしい曲です。堪能しました。

指揮者の高関さんは団員の全てに気を配り、丁寧な指揮振り、それだけに団員の信頼度も高く、演奏者の持てる力を全て引き出す術を心得た指揮振り、好感が持てました。又高関さんはとても心が優しく暖かい気持ちの方のようで音楽にその優しさと暖かさが感じられ素晴らしい音楽を作っていました。至福のコンサートでした。

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2009年4月13日 (月)

北海道の石川啄木

175pxtakuboku_ishikawa先日受けた「札幌シティガイド」の試験に石川啄木の札幌滞在期間に付いての問題が出た事を紹介しましたが、啄木の北海道に居た期間は思いの外短いです。

啄木は東北の岩手県の人です。詩人としての才能はずば抜けていた人ですが、既に歌集も出版していましたが、その当時ほんの駆け出しの新人、詩人として生計を立てる時代ではありませんでした。友人、知人から借金しまくり、多分逃げるようにして故郷を離れたものと思います。

北海道に渡ったのは小樽に姉が嫁いでいて姉の旦那さんは小樽駅の初代駅長さんでした。

800pxtakuboku 1907年(明治40年)岩手県で勤めていた教員を止め先ず啄木は函館に居を構えました。夏には奥さん、子供、母親、妹も呼び一家5人で生活を始めました。

丁度有名な函館大火が発生(8/25)函館を離れる事になります。結局函館に居た期間は5月5日から9月13日までの132日間。今度は札幌へ向かいます。

Sapporo4

Sapporo38 札幌には9月の約2週間居ただけです。札幌での仕事は北門新聞社の校正掛かりでした。此処で上司と喧嘩してあっさり仕事を辞めてしまいます。

札幌で残した詩は

                  しんとして幅広き街の秋の夜の 玉蜀黍の焼くるにほひ 啄木

Kanashiki その後啄木は小樽に移り住みます。小樽での生活は小樽日報社の記者でした。そこで新聞社の中心的存在になりますが、12月16日辞めてしまいます。小樽での滞在は115日。

Kobunzou啄木は今度は釧路に向かいます。

釧路では釧路新聞社に勤め事実上編集長として新聞社の立て直しに貢献します。

しかし、此処での生活も長続きせず76日で終わり東京に去って行きます。

啄木は小柄な人でしたが端正の顔つきと類い希な才能、とりわけ女性には優しい人だったようでモテモテの人でした。行く先々で女性に纏わるエピソードは数知れません。特に釧路でも小奴さんの話は有名です。

釧路で作った詩は

さらさらと氷の屑が波に鳴る磯の月夜のゆきかへりかな

他沢山残されています。啄木が北海道に居た期間は1年間と短いものでした。しかし、函館、札幌、小樽、釧路の各地には立派な銅像、歌碑が立っています。

啄木は上京後の4年後僅か26才の病気の為、生涯を閉じています。啄木の詩は「一握の砂」他多くの心に残る優れた作品を残し現在最も人気の高い作家の一人かも知れません。ある意味で幸せな一生を生き抜いた人かも・・・。

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2009年4月12日 (日)

将棋名人戦始まる

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第67回の将棋名人戦が始まりました。

現在の名人は羽生4冠対する今期の挑戦者に名乗りを上げたのは郷真真隆九段。郷田はA級順位戦を7勝2敗で堂々の成績で挑戦権を得ました。

郷田九段は一昨年当時の森内名人と七番勝負に3勝4敗で惜敗、今期こその思いは有ると思います。気合い充分とみました。

注目の第1回戦は東京文京区の椿山荘で9日・10日の2日間で行われましたが矢倉戦の捻り合い、158手の長手数の熱戦の末、後手盤の羽生が制しました。

羽生、郷田共現在38才の将棋棋士として脂の乗り切った指し盛り、多分接戦が予想されます。今後の郷田九段の踏ん張りに期待しましょう。

第二戦目は4月21・22日の両日熊本の「熊本城」です。舞台としてはユニークで面白いです。注目しましょう。

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2009年4月11日 (土)

天才の父親

Leopoldmozart ヴェルフガング・アマデウス・モーツアルトは世界的に知られる大天才の作曲家ですが父親のレオポルド・モーツアルトもれっきとした音楽家でした。

最終的にはザルツブルグの宮廷副学長に昇進しますが、音楽家としての才能はそれほどでもなかったようです。

彼の最大の仕事は息子の才能をいち早く見抜き、徹底した英才教育をほどこし、モーツアルトを大天才に相応しい音楽家に育て上げた事です。

しかも、息子を売り出すため、世界中を旅行して、売り込みにも精を出したことです。つまり今で言えば名プロジュースの才に長けていたのでしょう。

レオポルドも沢山の作品も残されていますが、どれも大した事はなく強いて上げれば「おもちゃの交響曲」くらいですが、それも他の人の作品ではないかと言う説もあります。

レオポルドは音楽教育理論家としては優れていたようで「ヴァイオリン奏法」は史上初の奏法理論として特に有名ですが、そればかりでなく現代でも理論としての評価も高いようです。

親と言うのは誰でも自分の子供は天才と思いがちですが、本当の天才は数で言えばほんの一握りでしょう。その天才を正しく見抜き、育てる能力はやはり並でないと言えます。

卓球愛ちゃんの母親、イチローの父親なんかも「ヤッター!!」の思いでしょう。

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2009年4月10日 (金)

満月

20090311220428 ここ最近晴天続きで朝方、西の空にくっきりと満月が見られました。

満月は天文学的には月と太陽の黄経差が180度となること、又はその瞬間と事だそうです。

満月はほぼ一月に1渡位の割合であって特に秋の中秋の名月が有名ですが、空気の澄んだ冬の満月の方が綺麗かも知れません。

満月の日は不思議な力があると言われ、犯罪が多いとも言われています。データーもあるそうですが、果たして根拠はあるのでしょうか?。

満月の夜に人間が狼に変身すると言う話は勿論西洋の作り話です。日本にはそんな話はありません。

因みに4月の満月は昨日4月9日午後8時8分が正真正銘の満月でした。

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2009年4月 9日 (木)

名画で読み解く「ハプスブルク家12の物語」

32110277最近の 私としては珍しい本を読みました。私の読書の傾向は年とともに肩の凝らない推理小説の類が多いです。

此の本「ハプスブルク家の12の物語」は同じマンションにお住まいのK子さんからお借りした物です。

ハプスブルク家と言うのは一スイスの豪族から偶然転がり込んだ神聖ローマ帝国の地位をバネに650年に亘ってヨーロッパの王朝に君臨して来た名門中の名門。マクシミリアン一世からマリーアントワネット、ナポレオンに至るまで皇帝位をほぼ独占。その一部始終を描いた物語です。

ヨーロッパはご存じのように日本のような島国と違い国と国が互いに接しています。従って各国の往来や国家権力の関係は可成り複雑です。ハプスブルク家はそれらの常に中心に位置し権力を保ってきました。

当然血族結婚が多く血のつながりも濃く、時には異常な場面もありました。女性の権力者が出現して国の行く末を牛耳った事もありました。

650年の年月は相当長いです。日本の徳川幕府は265年、ロシアのロマノフ王朝300年に比べて倍以上の長きに亘る権力の保持。執念に驚かされます。

この本は此の名家の歴史を数々の肖像画を担当した画家の描いた絵を辿りながら物語を進行させています。これも物語を興味深く読み進める大事な要素になっています。

この本を書かれた中野京子さんは北海道の出身の方だそうですが早稲田大学の講師、専門はドイツ文学、西洋文化史だそうで、翻訳の傍ら様々な分野の本も出されている人です。

この本の項目は

第1章 アルブレヒト・デューラー「マクシミリアン一世」

第2章 フランシスコ・プランティリャ「狂女フアナ」

第3章 ティツィアーノ・ヴィチェリオ「カール五世騎馬像

第4章 ティツィアーノ・ヴィチェリオ「軍服皇太子」

第5章 エル・グレコ「オルガス伯の埋葬

第6章 ディエゴ・ベラスケス「ラス・ミニーナス」

第7章 ジュゼッペ・アルチンボルド「ウェルトゥムヌスとしてのルドルフ二世」

第8章 アドルフ・メンツェル「フリードリッヒ大王ノ「フルート・コンサート」

第9章 エリザベート・ヴィジェ=ルブラン「マリーアントワネットと子供達」

第10章 トーマス・ローレンス「ローマ王(ライヒシュタット公)」

第11章 フランツ・クサーヴァー・ヴィンターハルター「エリザベート皇后」

第12章 エドゥアール・マネ「マクシミリアンの処刑」

物語は可成り入り組んで複雑でしたが久々にズッシリ読み応えのある本でした。お貸し下さったK子さんに感謝・感謝です。 

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2009年4月 8日 (水)

人騒がせな国北朝鮮

4月5日北朝鮮がミサイルを飛ばしました。北朝鮮のミサイル発射は今回で3回目です。

これは予め予告していた4~8日の2日目に当たりますが、日本は事前にあらゆる事態に備えて準備万端を済まし、自衛隊がアメリカ軍と協力一応迎撃態勢までして、さて打ち上げの前日4日は朝から大騒ぎ、張り切り過ぎて発射もしていないのに《発射!!》と発表、各地自体はおろかテレビで全国に流されました。

しかし、これは誤報と分かり、直ぐ訂正の追っかけ発表、政府官邸の右往左往振りが目に付きました。

結局その日はどう言う訳か発射されず、翌5日午前11時半頃今度は間違いなく発射されました。秋田やその他に配置されていた迎撃装置は予定通り何の動きもないままミサイルは日本上空を通過、太平洋上に落下したようです。

北朝鮮は此のミサイルを「人工衛星」と称し打ち上げは成功、軌道上を周回しているとしているそうです。「人工衛星」から金正一の国を称える歌を流していると言う事です。

当然日本とアメリカ、韓国は此をミサイルとして国連安保理に提出、国連決議をするべく動いていますが北朝鮮よりの中国、ロシアはこれに難色を示し、国連決議は微妙のようです。

普通「人工衛星」を上げるときは何処の国でも真っ直ぐ真上に打ち上げます。一定の高さに到達すれば地球の周回軌道に乗ります。「人工衛星」を上げる技術はそれほど難しくなく、今現在地球を周回している「人工衛星」は6千個以上にもなります。日本も119個打ち上げ大学生が上げた衛星も7個もあります。

それを北朝鮮は「人工衛星」を打ち上げるのに上に上げないで日本を飛び越して飛ばすのか分かりません。これは明らかに日本を牽制し、アメリカに向けて何処まで近づけるかを実験しているのは明々白々です。

抗議の国連決議を中国、ロシアが反対や躊躇するのはそれなりの事情があると思いますが、明らかに間違いです。この際アメリカや日本は断固たる姿勢を貫くべきです。駄目総理の麻生太郎総理、此処は人気挽回のチャンスです。得意の腰砕けにならないよう最後までやり抜いて下さい。

日本の国会で北朝鮮に対する抗議の決議が採択されたそうですが、当然のことです。

しかし、此の決議案に対し、共産党は反対、社民等は欠席したそうです。革新党の両党ですが、北朝鮮を今でもまともな社会主義の党と認めているのでしょうか?北朝鮮の正体は社会主義とは全く関係のない独裁君主の国です。国民を犠牲にして自分たちだけ良い思いをしている不埒な国です。

共産党も社民党も駄目なものは駄目とはっきり割り切った方が良いです。こんな事では多くの国民の支持を受けないでしょう。

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2009年4月 7日 (火)

新渡戸稲造

Inazo_nitobe「新渡戸稲造」五千円札の肖像でお馴染みの人ですが北海道に縁のある人です。稲造は岩手県盛岡の藩士の家に生まれています。

時代は江戸から明治に移り、北海道で初めての大学札幌農学校が出来て稲造は第2期生として学んでいます。

その時は「少年よ大志を抱け」の教頭を務めたクラークは既にアメリカに帰り、居りませんでしたが、クラークの残した精神とキリスト教への信仰心は受け継がれ稲造もキリストを信仰し同期の内村鑑三、宮部金吾、廣井勇らと共に函館に駐在していた宣教師MC・ハリスから洗礼を受けています。

稲造はその後、東大に学び、私費でアメリカに留学、札幌農学校の助教授も務めています。

第一高等学校校長、東京拓殖貿易学校校長、東京帝国大学教授、拓殖大学学監、東京女子大学学長などを歴任、1933年(昭和8年)カナダのバンフで開かれた太平洋調査会会議に日本代表として出席するため渡加、会議後ヴィクトリアで倒れお亡くなりになっています。71歳でした。

生涯を学者として、後進の若者の指導に捧げた立派な人です。札幌農学校(現北大)の大先輩の新渡戸稲造さん北海道人にとっても誇り有る人物です。

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2009年4月 6日 (月)

北海道の義経伝説

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海道には義経街道や義経道路と言うのが各地にあるそうです。

平泉で兄頼朝に追われ自害したと言われる義経は実は生きて逃れ遂に北海道まで辿り着きその後モンゴルに渡りジンギスカンになったと言う説まであります。

まさか、まさかとは思いますが北海道には各地に所謂(いわゆる)義経伝説が残されています。主な物を上げると

 1 源義経試し切りの岩 稚内市

 2 義経の涙岩 厚田村(現石狩市厚田区)

 3 義経岩 旭川

 4 女郎子岩 神居岩伝説 積丹町

 5 雷電岬 弁慶の刀掛岩 岩内町

 6 弁慶岬・義経の物見台 寿都町

 7 姫待ち峠・九郎岳・姫川 乙部町

 8 義経の馬岩 江差町

 9 船魂神社・義経腰掛けの松 函館市

10 義経神社(義経資料館) 平取町

11 義経山 本別町

12 義経の尻もち岩(尻餅沢) 羅臼町 

以上ですがその他120余りの有るそうです。日本人の判官贔屓好きとも言えますが根強い義経人気も感じられます。義経が平泉で最期を遂げたと言われる年号は文治5年(1889年)今から800年以上も前の時代です。北海道はその頃は和人は一人も住んでいなく僅かにアイヌの人が居たと思われます。伝説にしても多分明治に入り北海道が本格的に開拓されてから作られた話だと思います。確かに話としては面白いですが信憑性としては可成り怪しいと思います。

しかし、伝説は伝説として興味はあります。一度各地を訪ねてみたい気もします。 

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2009年4月 5日 (日)

プロ野球開幕

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プロ野球公式戦が始まりました。セ・パ両リーグ同時開幕は6年振りだそうです。

開幕前の評論家の優勝予想はセが巨人、パは西武だそうです。北海道日本ハムは良くて4位、大方は5位だそうです。

我が中日ドラゴンズの評価も悪く村田兆治さんの2位が最高で大方の評論家は5位止まりです。最もエース川上が大リーグに去り、大砲のタイロン・ウッズが退団、中村紀が楽天に移籍、戦力が大幅にダウンは認めざるを得ません。しかし、落合監督は今年が一番采配を振るえると意に介しません。心強いと言えますし、頼もしいとも言えますが、多少強がりとも・・・。持ち前のオレ流采配、先ずはお手並み拝見、まあ期待しましょう。

注目の開幕初日、全国の観客数凄かったです。やはり日本人はプロ野球が好きなんです。

巨人×広島-44,124人 

ヤクルト×阪神-33,792人 

中日×横浜-37,678人

日ハム×楽天-42,328人 

ソフトバンク×オリックス-30,106人

西武×ロッテ-30,106人

開幕初日と言う事もありますが何れも3万人以上、札幌ドームはチケットが完売だそうです。一昔前はパ・リーグの試合は千人とか2千人の時もありました。球場は閑古鳥が鳴いていました。隔世の感があります。日本ハムも北海道に移籍して正解でした。しかし、客をつなぎ止めておくには試合内容もさることながら勝つことです。成績を上げる事が大事です。今年の頑張りを期待し、見守りましょう。

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2009年4月 4日 (土)

春の甲子園高校選抜大会終わる

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春の甲子園高校選抜大会は長崎県の青峰高校が長崎県勢で初の優勝で幕を閉じました。

何時も決勝戦は大体が一方的になりがちですが今年は互いの投手が力投見応えのある試合になりました。

今回の下馬評では慶応、PL、早稲田等が上がっていましたが、準決勝に残ったのは青峰の他兵庫の報徳学園、東北勢同士の岩手の花巻東、宮城の利府高校と意外なチームが残りました。

今年の選抜は好投手が揃い大活躍しました。評判の投手PL学園の中野投手は2回戦の南陽高校相手に10回ワンアウト迄ノーヒット・ノーランに抑えていましたが延長10回で力尽き、敗れはしましたが充分真価を見せてくれました。

準優勝の花巻東の菊地、優勝校の青峰の今村と素晴らしい投手揃いいの選抜でした。北海道日ハムは早くも菊地にドラフトの標準を合わせたとの報道も・・・。

北海道代表の鵡川高校も自慢の打線も菊地の前に沈黙、力が出せずに終わりましたが夏に向けて力を付けてくれるでしょう。

中々中身の濃い見応えのある好試合が続き大いに楽しみの多い選抜大会でした。

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2009年4月 3日 (金)

伊能忠敬

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伊能忠敬は江戸時代の商人であり測量家でも有った人です。

忠敬は千葉県で生まれ酒造業を営む伊能家に婿養子に入り商人として家業を再興し50歳の時に家督を息子に譲り江戸に出てきます。

51歳で江戸時代の天文方高橋至時に師事し、測量・天文学を修めました。

56歳で蝦夷地(北海道)を始め日本全国の測量を始めほぼ正確な日本地図を作っています。

日本で最初に北海道の地図を作成した人です。現在なら衛星や航空写真で簡単にしかも正確な地図は作れますが、江戸時代は勿論そんな物はなく専ら歩いて測量をしました。

相当な困難と努力が有ったと思います。日本地図作りの元祖です。偉い人です。立派な人です。

1818年74歳で亡くなりますが1821年「大日本沿海興地図」が完成します。

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2009年4月 2日 (木)

百寺巡礼「中尊寺・毛越寺」

パソコンの仲間で親しくして頂いているM・AさんからDVD百寺巡礼「中尊寺・毛越寺」をお借りしてみました。此のDVDは作家の五木寛之さんが全国各地のお寺を訪ね歩き、古い歴史を掘り起こす企画で十何年か前に民間のテレビ放送されたものをDVD化しいたものです。

実は中尊寺&毛越寺は岩手県の平泉に有って私も神奈川に住んでいた頃1回行った事があります。

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「中尊寺」の歴史は古く嘉祥3年(850年)天台宗の高僧慈覚大師円仁によってこの地に弘台寿院と言う寺が開かれた事に始まると言われています。

その後、長治2年(1105年)奥州藤原氏初代清衡公によって多くの堂塔伽藍が建立されました。鎌倉時代の「吾妻鏡」によると当時の中尊寺は寺塔40余宇、禅坊300余宇と言われています。広大な敷地に膨大なお寺群が建立されていたようです。奥州に於ける当時の藤原一族の権力は絶大で中でも「金色堂」は今も当時の面影を残しています。

当時平泉を訪れた西行は、中尊寺の東方に優美に横たわる束稲山を眺め、「聞きもせずたばしね山の桜ばな 吉野の外にかかるべしとは」(聞いたことすらない束稲山の桜花よ 名に知れた奈良吉野の千本桜の外にこれほどの桜の名所があったとは)と詠じました。

又松尾芭蕉は「夏草や兵が夢の後」と詠んでいます。

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「毛越寺」慈覚大師円が開山し、藤原氏二代基衡から三代秀衡の時代に多くの伽藍が造営されました。往時には寺塔40余坊僧500を数えたと言われています。当時の中尊寺を凌ぐほどの規模と華麗さで有ったと言われています。奥州藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭い全ての建物が焼失しましたが現在大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、国の特別史跡・特別名勝の二重の指定を受けています。

又、平泉と言えば義経が兄頼朝に追われて平泉で最期を遂げた場所でもあります。

義経は16歳の時平泉の藤原秀衡を頼って暫く住んでいた事が有ります。しかし、頼みの秀衡は亡くなり息子の泰衡になっていました。泰衡は頼朝の必要な攻撃に抗しきれず遂に義経の首を差し出す手段に出ます。つまり平泉は戦争の天才義経の最終の地になった所でも有ります。

懐かしくDVDを見ました。M・Aさん有り難う御座いました。

 

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2009年4月 1日 (水)

久保八段新棋王誕生

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34_5_5_11 佐藤棋王に挑戦していた久保利明八段が3勝2敗の接戦の末初の棋王を奪取しました。

佐藤前期王は3連覇はならず悔しい惜敗に終わりました。

序盤の1戦目、2戦目は久保、第3戦、第4戦目は佐藤が返し、流れは佐藤に傾いた感もありましたが、最終第5戦目接戦を制し、遂に久保の嬉しい勝ちになりました。

久保新棋王は兵庫県加古川の出身で淡路仁茂八段門下33歳です。久保棋王はNHKの小学生子供将棋大会で優勝したこともあります。可愛らし姿でテレビで将棋を指していた場面は私もハッキリ覚えています。

久保棋王は「さばきのアーチスト」の異名を取る華麗な将棋は定評が有る実力者。タイトルを取るのが遅すぎたくらいです。漸くと言った感じです。此からドンドン他のタイトル戦にも顔を出し、大活躍間違いないでしょう。

奪取された佐藤康光前期王はお気の毒ですが久保棋王本当にオメデトウと祝福しましょう。

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