パークゴルフの仲間だった坪倉哲夫さんが4月9日お亡くなりになりました。2月の千葉忠弘さんに続いての悲しい訃報です。
パークゴルフは最近は若い人の層にも広がりをみせているとは言え、まだまだ圧倒的に年配者中心のスポーツ。それだけに毎年仲間の誰かさんが倒れられたとか、病院に入院されたとか、お亡くなりになったと言う便りが聞こえて来るのですが、先の千葉さんにしろ、今回の坪倉さんにしろ特に親しくして頂いた先輩、哀しみもひとしおです。
坪倉さんは大正12年の生まれ、今年で満86才になられたそうです。お生まれは現在の北朝鮮の方だとお訊きしていました。ご両親の出身の山口県に引き揚げて来られ大学を卒業後、海軍に入られたそうです。仕事の事は詳しい事は分かりませんが大阪、東京、札幌と転勤、営業所の所長さんだったそうです。最後は札幌に落ち着き、そのまま居を構えたそうです。
私との付き合いは私が会社を定年退職してパークゴルフを始めて直ぐにお知り合いになりました。同じ同好会に所属していた関係で親しくなりました。
坪倉さんは元々ゴルフの経験が長い人だそうで、基本がしっかりしています。フォームが美しく凄く上手です。長年会社の指導者をしていた事もあって人物的にも素晴らしく、穏やかな人柄は誰からも好かれ、私はパークゴルフだけでなく色々な点でご指導を受けました。
坪倉さんは他の人を嬉しくさせる名人でもありました。私に対しても『貴方は素晴らしい人だ!!』 なんて尻(ケツ)の穴がこそばゆくなるような事を言って単細胞な私を良い気持ちにさせてくれました。
ある時、坪倉さんに相談を受けた事が有りました。私はその頃パソコンを初めていましたが、坪倉さんは若い頃は文学青年だったそうです。ご自分の若い頃の体験を基に私小説を書かれた事があったそうです。A4で20ページ位の文章ですが、それを清書してくれないかとの事でした。
何分、その頃はパソコンを始めたばかり、一旦はとてもとてもそんな自信は有りませんとお断りしましたが、出来は問わないとの再度の依頼に遂に引き受ける事になりました。原稿を読みますと大体以下のようなストーリーとなっていました。
主人公の土谷青年は彼が卒業した商業学校の1年後輩の笠原郁枝にラブレターを出す事から始まります。
その頃は軍国主義の真っ直中、男性が女性に思いを手紙に書いて出すのは相当勇気のある事だったでしょう。兎も角、彼女に対する思いは相手の女性に通じ、2人の文通は順調に交流を重ねたある日、土谷に召集令状が来て、海軍に出征する事になります。
彼女との手紙の交流は軍隊に入っても続きますが、ある日彼女の姉から彼女が病気で亡くなったことを知らされます。
此の話は坪倉さんが実際に経験された事に基づいて書かれています。坪倉さんは私と違い文学青年だっただけに美しい文章で切々と書かれています。題名を【花も知らずに】と付けられていました。私は感動して読みました。
坪倉さんには2人のお嬢さんがいます。坪倉さんはお嬢さん達に出来上がった此の私小説を見せたそうです。上の娘さんは簡単に『中々面白いヨ』と言ってくれたそうですが、下の娘さんは『今頃こんなものを書いて・・・お母さんが可哀相だ!!』と怒られたそうです。
しかし、実際の話では坪倉さんが結婚後何年かして、亡くなった彼女の墓参に出かける事になった時、奥さんは坪倉さんを快く送り出してくれたそうです。この奥さんの寛大な心に感謝しつつ此の私小説を私に清書する事を決意されたのでしょう。
人生とって出会いは何時でも喜びです。それが、たとえ一時(いっとき)
であっても、すれ違いであっても嬉しく楽しいものです。
しかし、別れは寂しいです。
まして、永遠(とわ)の別れは辛いです。悲しいです。
何時までもダンディでお洒落な坪倉哲夫さん、天国で千葉忠弘さんとパーク談義に花を咲かせている事でしょう。お二人とのお付き合いを懐かしく思い出しながら心からお二人のご冥福をお祈りいたします。
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